年の瀬

年の瀬に

阿倍野の利用者さんは何とか大丈夫そうだ。
明日あたりCTをとり、骨に異常が無いかや、
その他諸々の検査をするらしい。


一時は意識が混濁状態になっていたと聞いて
随分心配したものであるが、命に別状は無いと
聞いてホッとした。良かった・・・・・・


暫くは検査やら何やらあるそうだが、
意識も今ははっきりしているらしいので
年明けにでもお見舞いに行こうかと。


「うちのヘルパーとしての立場で行くのはちょっとね・・・」


クソッタレ!!うるせえよ!!
んなもん知るか!!行くったら行くんだよ、俺は!!!


うちの事業所の利用者さんが死んだ。
電車への飛び込み自殺だった。
統合失調症の人だった。
僕の担当している人では無いが、担当のAさんは
どんな気持ちでいるのだろうか。今度会ったら
訊ねてみたい。いや、それは酷い話か・・・
僕も、担当していた利用者さんが一人死んでしまった事が
あったけど、それは衰弱の末の病死なのでまだ心に
まとまりがつく。しかし、その人は自ら死を選んだのだ。


身寄りが無いらしいので、Aさんは警察から遺体の確認を
求められたとかなんとか。


飛び込みだろ、グチャグヂャだろ、無理ってもんだろ・・・


ねえ、何が人の在りようを分けるんだろうね?
僕は昔から、人が死ぬ時は、その人が役目を終えた時
なのだと思ってきた。


死ぬ事で、後の世に在る人々に、
何かを遺す人もいるのだけれど。


でも死んだらお役御免だ。結局。
死んだ後で評価されてもつまらんよ。
生まれ変わりもヘタクレも無い。
死んだら全ては消える。綺麗サッパリだ。
執着している奴等が鬱陶しい。


苛々する。こんな事を逐一書いている自分が嫌だ。
でも書いてしまう。俺はクソだ.
駄目だこんなんじゃ。


明日は気分を変えよう。いい日に。
こんな時こそこう書く意味が。
明日もいい日にしてみせますよ。