夕日

ここの所かかりきりに
なりつつあるケースに
本日もかかっていた。
デイサービス中心の
ケアプランを訪問入浴や
訪問リハなどに切り替えて
行こうかご家族と色々
話し合っている。


以前住宅改修その他のケアプランを作成していた結構
裕福で大きなお宅の工事が終わったので見に行った。
何度見ても(?)大きなお宅だ。でも、こんな大きな
お宅に住んでいても、そこの方々は決して幸せそうな
顔をしておらず、困っていた。僕の力だけではどう
しようもない事もあり、遠まわしに手伝うくらいしか
出来なかった。


事業所を幾つか回った。打ち合わせや依頼をかけたり。
昼食はゆっくり噛んで水で流し込まなくても普通に
飲み込めるよう落ち着いて食べている。以前はまるで
飲み込むように味わう事もなく時間も関係なくエサの
ようなものだった。僕は、人間だ。


胃カメラの一件からすっかり気持ちに動揺がみられる
ようになった。でも仕事に影響していないのは周囲の
職場の方々のお陰。まあまだ結果は先なのだが。でも
医師に動揺しているのだとだけでも伝えてみてはどうかと
先輩から。そうかもしれない。心の中に押し込めておく
よりも、話してみる事。まともに聞いてくれなくとも
一応、だ。それは普段僕が相談してこられた方などに
対して心掛けている事。伝えたいと思っている言葉を
聞き、そしてその言葉の向こうにある想いを感じ取る。
それを他者に期待する訳にはいかないが、一応
話してみる。明日は病院へ行ってみよう。


夕日がきれいだった。財津和夫の「夕日を追いかけて」
という曲が好きだ。財津さん、大腸がんが見つかったらしい。
イレウスからだからどうなのかなあと心配である。
もしかしたら僕もひとごとではないのだと思うと、
なんとも言えない気持ちになる。人生って何なのだろうか。
でも、明日もいい日にしてみせますよ。そうだよね。