2006年・下町のネコ

放射線治療7回目。
日に日に影響が出て
いるような感じで
ある。


いや、その時の体調にも
よるのかもしれないが、
今日はまたよろしく
なかった。しんどい。放射線をあてている頚部辺りと肩の
痛みが出ているのと、これは前からだが吐き気と倦怠感。
今日はもう半日仕事(?)の受診なので休みを取り、
ゆっくりするつもりでいたが、気が抜けた所為もあるの
かもしれない。医師に尋ねても具体的な所は判らないらしい。


帰宅してからはどっとしんどさと疲れが襲って来て、
ベッドにずっと横になっていた。数時間経ってやっと
楽になって来たのでほとんど摂れていない食事など
形だけ済ませる。根本的エネルギー問題である。前にも
書いたが光子力だかイオンエンジンだかなんちゃら
かんちゃらエネルギーだかで稼動する身体に改造して
貰いたいと本気で(おい)思う夢見がちな癌患者である。
この夏を果たして乗り切れるかどうか、それはこの
エネルギー摂取問題にかかって来るなあと思うので
あるが、今の所なかなか良い策が思いつかない。
他人は簡単に言うが、実際は(詳細は面倒臭いので
書かないが)案外辛いものである。


しかしこのクソがつく暑さの中、明日は午前中とある
病院でのカンファレンスに出席する事になっているので
意地でも出掛けなくてはならない。エンシュアとか
メイバランスとかカロリーメイトとかウイダーイン
ゼリーなどであまり人間的とは言えないエネルギー
補給をしつつ乗り切るのであるな。まあ頑張ります。
早めに寝てしまおう。その前にウイダーインゼリーを
もうひとつ頂いて。
明日もいい日にしてみせますよ。ではまたね。

キャリーカート

放射線治療は6回目。
先週の緊急入院から
1週間が経過し、そろ
そろ嚥下にも影響が
出て来ている(?)


下手にモノを飲みこむと
誤嚥を起こして咳き込む。
こういう事を繰り返していると誤嚥性肺炎などに罹って
しまうのである。高齢者には結構見受けられるが、まさか
僕がそんな事に気をつけなくてはならなくなるとは思っても
みなかった・・・って、昨年の放射線治療の時もこんな感じ
だっただろうか。でもあの当時よりも嚥下に関しては悪い。


抗がん剤は現在やっていないので、まだ辛さはマシな方
なのかもしれないが、栄養不良なのは変わらないし、
成人男子の1日辺り総摂取カロリーの半分も摂れていない
現状もまた変わらない。こんなのでよく動けていると思う。
眩暈と吐き気と倦怠感は続いているが、仕事中は上手い
具合にスイッチが入ってくれているらしく、それをおよそ
感じない。でも何時までもそうはいかないだろう。


明日は血液検査や午前・午後でそれぞれ受診が入って
しまっているので、結局仕事は休む事になった。その代わり
三連休初日の土曜日にとある病院でのカンファレンスに
出席する事になっている。病人が支援者として退院を
控えている方のカンファレンスに出るなんてもう笑って
くださいな状態である。でも負けないぞ。
明日もいい日にしてみせますよ。ではまたね。

2014年・淀屋橋界隈

放射線治療は5回目と
なっている。毎日朝
一番で治療を受け、
その足で職場へと
向かうパターンが
何となく定着しつつある。


しかしがんセンターへの
道のりは長い(?)僕の場合ほぼ地下鉄ルートで
移動出来る為雨には濡れずに済むが、何せ歩く距離が
長い。駅のホームを端から端まで歩き、駅構内を出ても
更に歩く。体調が万全ならば少し面倒臭いだけでしんどい
とは思わないが、現在のコンディションでは結構しんどい
ものがあったりする。この行き来だけでも体力をかなり
消耗してしまう。


そんな中を本日から使用を開始したキャリーカートを
コロコロさせながら歩くのである。両親と(後から
知ったが)姉からのプレゼントであるそれはなかなか
出来が良く、引っ張ってもいいし自分と並行させても
ころころ動いてくれる。杖代わりにもなる(おいおい)。
旅行者でも多忙を極めるビジネスマンでもないので
こういったものを使うのはどうかと思ったりもしたが
実際使ってみると便利だ。ショルダーバックを使って
肩こりになったりもしたが、これならマシになりそう。
素直にありがとうと述べたのである。こんな息子で
すみません・・・


仕事や通院、入院の為の荷物を運ぶだけではなくて、
旅行の荷物を入れて出かけたくなるカートである。
小型で、2〜3泊程度なら充分である。しかし問題は
やはり僕自身にあり、旅行なんてまだまだな状態だ。
先日のような緊急的入院なんてもうしたくないな。
でも通院治療はまだまだ続くので、カートの活躍も
まだまだ続きそうだ。こんな息子ですみません。
寝ます。明日もいい日にしてみせますよ。ではまたね。

ドライブインダルマ・2006年

体調面の話ばかりで最近
暗い。おまけに大災害も
起こってしまって世の中も
暗くなっている気がする。


本日の大阪は晴天で
暑かった。梅雨も明け、
夏の到来である。体調が
優れない事が増えた今の僕ではあるが、たまにはまるで
関係のない少しだけ明るい話を書いてみようかなと。
でも案外思い浮かばないものだ。


そういえば今回の水害で京都の由良川が氾濫しそうに
なっている映像を見たが、あのドライブインは大丈夫
だったのだろうかとふと思い出した。そこは自動販売機で
そばやうどんやハンバーガーが買えて、食べられる。
何年前だったかにも水害に遭い、しかし見事復活を遂げた
らしい。この日記でも随分前に少し取り上げたが、久々に。
その名も「ドライブイン・ダルマ」


当時の愛車ジェベルと。外観は普通のドライブインだが、
自販機マニア(?)には有名な所だとか。僕は確か
今まで2〜3回ほど行ったと思うが、写真は2006年5月のもの。


大阪にも10年程前には何箇所かにあった自販機バーガー。
今はもうない(と思う)。このクタクタ感がたまらない?

こちらは自販機のうどん。不味くはなかったと思う(笑)
この写真を撮影した頃よりも自販機うどんやバーガーは
更に減ったのではないだろうか。今は何処に行っても
コンビニがあるものね。


またここへ行ってみたいな。僕のGN125では高速道路は
無理だけど朝早く出れば充分行ける。日本海の宿で
泊まって帰路に寄る、なんてのもいい。昔は山間部の
国道脇や高速道のPAなどに置いてあった機械も、今では
全国で数える程しか稼動していなさそうだ。元気になったら
日本海を目指す旅の帰路にでも再訪してみたい。そんな日が
来るだろうか。
いや、何としてももっと元気になるのである。


寝ます。明日もいい日にしてみせますよ。ではまたね。

週明けからやはり体調は思わしくなく、しかし放射線
治療は続けられるので通いで行なっている。3回目だ。
まだまだ先は長い。体調の変化その他はこれからなのだ。


暑さの中カバンをしょって歩くのも(そこそこな距離歩く)
どうかと思っていたら、何と両親が先日キャリーカートを
注文してくれていた。そんなもん自分で買えるよ、と
言ったがプレゼントだという。
いい歳をして僕は何をしているのかと。ありがたいやら
情けないやら複雑だった。素直に喜べばいいのにね。


職場でも放射線治療が始まった事で、これから色々と
気を遣ってくれるという。いやいや、もう昨年からこっち
ずうっと気を遣って貰って迷惑掛け通しじゃないか。
もっと活躍する筈だったのにこんな奴に・・・と思うと
またしてもありがたいやら情けないやらだった。
先輩は相変わらず「治ったらこき使ってやるから」と
笑っている。何としてもこき使って貰わなくては、と
思う。でも、しんどさ辛さは簡単には引いてくれない。
悔しいが、地道に行くしかない。


こんな時期にひとつ忘れてはならない事は、受けた恩は
絶対に忘れない事、返す事。それが人の道だと思う。
明日もしんどいけど乗り切ろう。明日もいい日に
してみせますよ。ではまたね。

久々の青空

大阪は一応嵐が去って
夕刻には青空がのぞいた。
休日の体調は相変わ
らずで、今日も外には
出る気にもなれなかった。



日中よく寝ていた。まるで
おじいさんのようだ。僕はこのままぱっとしないまま
ぱっとしないおじいさんになってしまうのだろうなと
(生き残れたら、だが)ふと思った。ぱっとしないのは
今までとあまり変わらないのでそれはそれでいいのだが、
寝てばかりいてもあまりいい事はないだろうともまた
思うのである。身体も気持ちもまるで疲れが取れない。


地震に台風に大雨にと異常気象が今年は何故か続いている。
また、この国の様々な事が大きく変わってしまうの
だろうか。何でもかんでも現政権の所為にしてしまう
マスコミや何処かの政治家もどきが明日からまたこれ
幸いにと騒ぎ出しそうだ。そんなのでお金が貰えて
先生だ何だと言って貰えるのだからいい気なものだと
思うが、そういう人達のほうが何故か元気で長生き
したりする。平和を願い、自身や家族のちいさな幸せを
願って日々頑張っている人達が、何故か酷い目に遭ったり
する。この違いって一体なんなのかなとぼんやりと
考えていた。


でも、それでも僕は幸いな事に今日を生きている。
明日からの放射線治療も受け、仕事も頑張りたいと
思えている。まだ思えるのだから、きっとまだ何とか
なるだろう。身体も心も疲れていても、こんな戯れ言
ならまだ幾らでも書けるではないか。いいのだこれで。
明日からはきっと天候も回復するだろう。暑くなるが
負けずに夏を乗り切りたい。生きている限りは。
明日もいい日にしてみせますよ。ではまたね。

1997年・福島県

朝からずっと災害情報を
観ていた。これが21世紀の
日本なのかと。


自分ばかりがしんどかったり
苦しかったりしていると
つい思ってしまう。他の
奴はしあわせだ。しかし実際は世界は広く、すぐ近くの
誰かも「何故自分が」と思いながら辛い日々を送っているの
かもしれなかった。雨がずっと降り続いていた。


調子が良くなれば、また何か出来るし考えられる。何か
欲しくなれば手に入れられる、食べられる。そこへ行き、
空気を吸い、この目で見て、感じられる。私が病人では
なく、ただの人である事を知る事が出来る。
いや、調子の良くない今だって僕は眠りたいと思えば
今日1日そうしていたように眠り、明日からの事や、
過去の旅の日々へと想いを馳せる事だって出来る。
この上、何を望むというのか。


旅の空の下で、嵐を何度やり過ごしただろうか。ただの人で
ある事を思い知り、ただの人である事で謙虚さや恐れを
知り、何とか人としての道を進んでいる。嵐が過ぎ去れば
それをどうにか乗り越えた強さもまた知るのだろう。
今も旅の途上に過ぎず、ただの人は怖れや惨めさだけを
拾うアンテナが神経質に働いているだけに過ぎないのだと
思いたい。ただ、それを続け循環させる為には、これからも
生き続けなくてはならない。隣りにあるのか、遠い山の
向こうにあるのか知らない死を、少し待たせなくては
ならない。忘れて享楽的になるのではない、待たせるのだ。
それ位はしてもいいだろう。