1995年・紀伊半島徒歩旅


1995年。紀伊半島徒歩旅。
その最終日。


大阪府岬町、小さな町の一角に
小高い丘がある。登るとそこは
鎮守の杜、国玉神社。


前日、春一番が吹いた。雨の中、
和歌山市へ。メイン通りのラーメン屋で
食ったラーメン定食780円が妙に
美味かった。なんて店だったかな。
和歌山県庁前交差点で、三重県松坂市
より延々歩き続けて来た、長大なR42の旅は終わる。R26にスイッチし、
あとは一路、大阪へ。府県境の孝子峠を、濡れながら越える。


国玉神社は、手持ちの昭文社ツーリングマップでたまたま見つけ、
まだ16時台にも関わらず、社の片隅にシュラフを広げてしまう。
誰も来ないだろうと括り、荷物を残して町へ。食料をあれこれ
買い込み、戻る。ラジオの相撲中継を聴きながら夕食の大盛り
ノリ弁を食べてひと心地ついていたら、神主さんがいきなり
やって来て焦った。


神主さんに旅の経緯をまくし立てるようにして説明し、野宿の
許可をやや強引に貰ってしまう。ほんと、ごめんなさいね。
近隣に話が通ってしまったのか何なのかよく解らないのであるが、
その後、近所のおばちゃんが温かいコーヒーを持って来てくれた。
何処の馬の骨とも知れぬ浮浪者まがいの男に、だ。
警察に通報されてもおかしくない状況なのに。
嬉しくてたまらなかった。何度も、何度も、お礼を述べた。
「あのね、ここ、時々来るのよ、お兄ちゃんみたいな子」
あらあ・・・そうなの?


僕は、一日に数十kmを平気で(いや御免、いっぱいいっぱいで)
歩き通す鉄人級の脚を我が物とした。顔は、もう真っ黒クロンボ。
無理矢理どうにか穿いていた27インチのジーンズは、ブカブカ
なっちゃった。いや、今ならまた穿けるようになったけど
(これは自慢にならん。冗談抜きで哀しい状況だ。まあ、ブクブク
太るよりは、まだ少しはましかもしれぬとどうにか慰めておりますが)。


何かを追い求めて旅に出たのか。それとも求める何かがあったのか。
雲を飛ばす春一番の風が流れ、時が流れ、旅は終局を迎えた。


何処に野宿すればよいのかとビクビクし、雨が降って来たと
言ってはイライラし、歩道が無く、真横をダンプが唸りをあげて
通り過ぎる毎に「このクソッタレ野郎、畜生め!!」と咆哮し、
じんじんと襲い来る脚の猛烈な痛みにマゾヒズムすれすれな快感を憶え、
1日中パンとスナック菓子のみの粗末な食事に侘しくなり・・・
それも、もうすぐ過去となる。やがて、記憶の、追憶の装飾を
これでもかとたっぷりと振り掛けて貰える。美しい青春の詩となる。


この後、一旦はカタギに生きようと試みた。散々な結果に終わったが。

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朝、起き抜けに地震があり、驚く。震度2だったそうだけど、驚いた。