1995年・紀伊半島徒歩旅


1995年、紀伊半島徒歩旅。
その12日目の早朝。


ここはJR紀勢本線
紀伊新庄駅。周辺に
民家はあるが、一応
無人駅だ。


すぐそばの国道42号線の
道路補修工事の騒音の為、ほとんど眠れず朝を迎える。
いい迷惑だったが、こんな所を寝床に選んだ手前、
文句は言えなかったりして。ベンチにシュラフを敷いてます。


賀来千香子のポスターが張ってあるが、何故か半分破られていた。
なんでだろうなんでだろう、と騒音に悩まされつつ、朦朧としながら
思ってた。カクチカコが一匹、カクチカコが二匹、カクチカコが・・・
眠れない・・・  でも、この旅では、JRの無人駅に大層世話に
なりました。STB(ステーション・ビバーク)はルールとマナーが
あるのだけれども、それを遵守すればなかなかに快適なのだ。
トイレも水道もあるしね。


この日は御坊市まで行く。途中、京都ナンバーのクルマの
素敵なお姉さんに、「あら、ヒッチハイクしてるの?私も
旅行なのよ、乗せてあげるわよ」と声を掛けて貰った。
「いや、僕ヒッチじゃなくて、すべて歩き通してるんです」と
断った思い出がある。どうでも良い所で真面目君だったのだねえ・・・
今の僕なら、多分ホイホイと乗せて貰うのだろうが。


大阪まではあと200km程。最後の難所、水越峠を越えれば、
和歌山市までは、もうそう遠く無い。実際、この旅も
あと3日で終わる。

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音楽を聴こう、今またふたたび。音が鳴っているのが辛いなんて、
音楽から離れたいなんて、駄目だぞ。そんなもん吹き飛ばせ、
そんな情けない気持ちは。なんだい、少し位凹んだからってよ!
そして今またふたたび僕の原点に戻ろう。


僕の原点はやはりボブ・ディランだ。17歳の時に初めて聴いて、
「俺が本当に聴きたかった音楽は、これなんだ!」と衝撃を受けた
「ライク・ア・ローリング・ストーン」は、この紀伊半島の旅でも
常にアタマの中で鳴り響いていた。それは僕にとって、決して大袈裟では
無く、神様の声だったんだ。


How does it feel どんな気がする?


還る家も無く、誰にも知られず、石ッコロみたいに
転がって行くような、情けない人生は、どんな気がする!?


どんどん転がって行こうじゃないさ。どんな気がする?と
聞かれたら、まあ、そこそこさと答えようか。情けない人生
だけれども、まあ、そこそこで、でもしかし、まだまださ、と。

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あれま妙にポジだな、いけませんな。この日記の基本はネガの筈なのに。
でも、無理からにポジにしたい日もあるのですよ。でも妙にかっこいいじゃあ
ないのさ、僕にゃあ似合わねえけんども、でも今日はこういう気分なのだ。


吹き飛ばせ、重い気分を!明日もいい日にしてみせますよ。
明日はお休み。では早いけれども、お休みなさいませ。