1995年・紀伊半島徒歩旅


1995年。紀伊半島一周
徒歩旅。その8日目。


「ビジネスホテル河上」
で宿泊した次の朝は、
雨の朝。


ど根性ガエルの再放送を
テレビで観てから、貰い物のJリーグポンチョを着て、
雨天完全装備で出発。


昼過ぎまでずぶ濡れになりながら、陰鬱な気分で歩いていたのであるが、
突然嵐のような風が吹き、雨雲は一気に吹き飛ばされた。びっくり。
写真は七里御浜と呼ばれる海岸にて。つい1時間ほど前までの嵐が
嘘のような、気持ちの良い青空に、つい嬉しくなって写真を。あれ?
またカメラ目線が・・・おかしいなあ。まあ、何でもいいか。


夕方には新宮市へ。「あー、ここが中上健次のふるさとかあ・・・」
などと、最近の僕ならば思うのであろうが、この頃は、そんなひと、
知らなかった。いや、たとい知っていても、作品に目を通していても、
アッパラパーな22歳の僕には、もうひとつ解らないまま、ほったらかしに
していたのではないかと。アッパラパーなのは今も同じだが、無駄な智慧
もどきを、更に中途半端に身につけてしまったかもしれぬので、この頃より
幾分タチが悪くなったやもしれぬ。やあねえ、もっといい感じで歳を
とりたいものですねえ。


この日はJR紀勢本線那智駅にて駅宿となる。浮浪者やら騒ぐガキ共やらで
鬱陶しかったのだけれども、やがて誰も居なくなり、ホッと一息。
旅の3分の2の終了地点である潮岬へは明日にも辿り付けると、踏んだ。
歩行距離は、300kmを超えた。しかしまだ300kmを残している筈だった。
でも、この時の僕は、もう日本中何処へでも徒歩のみで行ってやろうじゃ
ないの!とまで思える程の自信があった。いやいや、これってただの
アッパラパーで・・・

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あー、しっかり休めました。久し振りの休日です。嬉しいねえ。


ZAQのひとに来て貰い、あれこれ説明して戴く。しかし諸事情から、
プロバイダ乗り換えは、もう少し様子見となる。ごめんなさいね、
日曜日なのに呼びつけちゃって。悪い事しちゃったな。


姉と甥っ子が久々に来る。お義兄さんは、知人と金剛山だか六甲山だかに
ハイキングに行ったらしい。土日祝完全休みが取れる方の余裕でしょうか。
休みの少ない暮らしにすっかり慣れたので、別に羨ましくは無いけれど、
もしも僕がその立場ならば、出掛けずに家でゴロゴロコロコロして呑んだ
くれているかいのう・・・アヒャフヒャハ。駄目ねえ、ああ情けない。


甥っ子は何と、今週金曜日に私学の高校受験を控えている。しかし
生来のノンビリ屋さんなのかして、緊張感のカケラもおよそ無い。
何処を受けるのさ、と問うと、びっくりするような(あくまで僕の
オツムの出来からしたら、だが)有名な校名を挙げた。あららあ、
お勉強出来るのねえ・・・でも大丈夫なんかいな!?


ジャズやクラシック音楽に興味津々であるとの事。彼の口から
小澤征爾の指揮するマーラーがどうのこうの(マーラーだったかな、
忘れた)というお話を聞かされるとは思わなんだよ。ほんっとに
ドラえもん出来杉くんみたいな子だね。君と同い歳の頃の叔父さんは、
マンガくらいにしか興味が無かった訳ですが。アッパラパーだったんよ。
受験、頑張んなよ。叔父さんみたいな放蕩しちゃあ、駄目だがね。うむ。
やさしくて素直な子に育ててくれたお義兄さんには、結構感謝してますよ。
姉は、僕と同様、かなーりいい加減なひとだから。


「高校行ったらギター弾こうぜ、ヤマハかモーリスの適当な安いやつ
見繕ってあげるから、ね!」 優等生を、引き摺り込もうと画策する
酷い叔父さんな僕だったりする。放蕩してくれるなと、のたまいつつも。


夕方、ゆっくりと風呂に入る。浴室に持ち込んだ小型ラジオから流れる、
今は亡き、星セント・ルイスの漫才や、柳家小さん師匠の落語を聴きながら、
1時間近く身体の力をすっかり抜いて、これでもかと浸かりました。
この日記書き終えたら、もう一度入って来ます。明日からも頑張ろう。


明日もいい日にしてみせますよ。
重い気持ちを入れ替えて。