紀伊半島徒歩旅・1995年


1995年。
紀伊半島徒歩旅・6日目。


今旅最初の難所「荷坂峠」
を越え、山間部から
一旦下りて来る。



三重県紀伊長島町。起床時には0℃であったのに平野部に
下りて来たお昼頃には、20℃近くを、手持ちの気温計は指した。
ダウンジャケットを着て歩いていると、少し汗ばむ位だった。
菜の花が咲き乱れている。ココロが、弾んだ。ああ旅だなあ・・・


この日の昼食は、田舎の小さな商店で買ったアンパン、食パン3枚、
ポテトチップス1袋、CCレモン。ひどい食生活だな。いや、この旅では
毎日毎日そんなようなものばかりだった。質の悪さは兎も角、量の多さは
結構なものではないか!常に歩いているから、どんどんお腹が空いた。
しかしなかなかお店が見つからず、空腹のままにひたすら歩き続ける
ような状態がしょっちゅうだった。


コンビニは、この当時の紀伊半島には未だあまり普及していなかった。
食堂にもあまり寄るチャンスには恵まれなかった。ああそうだ、
上の写真を撮影した日の夜は、どうにか尾鷲市に辿り着き、
駅前の食堂でチキンライスを食べている。あれは美味かったねえ、
すぐに腹が減って、結局困ったけれど。嗚呼、あの頃は、幾らでも
モノがお腹に詰め込めたのだなあ・・・何時からこんなに少食に
なってしまったのであろうか?


次の日はこの旅最大の難所であるR42の「矢ノ川(やのこ)峠」が
控えていた。プレハブ小屋の資材置き場の軒下で野宿。明日の峠越えを
無事成功させれば熊野市の海岸線に下り、以後山間部を行かずに済むし、
市街地に出る。旅のスタートから7日目、というひとつの区切りにも
なるので、何処か宿にでも泊まろう、と決定する。


ひとつの目的の地、本州最南端、潮岬が徐々に近づいていた。
脚の痛みは、充分耐えられる程度にまで治まっている。
「この旅、成功させられそうだぞ、俺って、すごいかも!」
と、単純莫迦はいよいよもって増長し始めたので御座います・・・

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さて、話は例によって唐突に変わり、今日の事を少々。
今朝は6時半には起床。せっかくのお休みなのに、これじゃいつもと
変わらん。眠れなくなって、そのまま残り物を掻き集めて朝食を。
サンデープロジェクトを観ていたら、「あるある大辞典」の
納豆についての情報がデマだった?とかいうお話がチラと出てた。
俺はただ朝ご飯のお供として食べたいだけなのであって、痩せるの
どうのなんざほんとにどうでも良いのですよ。みんな、駄目だよ
振り回されちゃ。少しくらいは考えなくちゃ。自分で。


昼、猛烈な眠気を覚える。朝が早過ぎたからか。
お風呂を沸かし、ツムラの「きき湯」をドバと放り込んで、
ぬるめのお湯で約1時間の入浴を。その後、布団を敷いて
4時間程昼寝する。実にスッキリした。これを書いたら、
再度暖まってこようかな、と。体調不全を吹っ飛ばせ。


明日からもまた頑張ろう。今月はもう休みが無いけど・・・
明日もいい日にしてみせますよ。今週も頑張ろうじゃないか。
昼寝したのに、もう眠い。