紀伊半島徒歩旅・1995年


阪神・淡路大震災
約2ヶ月後。


「卒業旅行、どうする?」


「別に。俺行かない」



ひとりで、紀伊半島を徒歩、つまり独力のみで旅をしたい、などと
一体全体誰に理解して貰えましょうか。言えなかったなあ。


震災の後、僕は被災地で少しの間、働いていた。そこで稼いだお金で、
旅に出た。最低だ・・・でも当時、徒歩旅への衝動は、最早抑えがたい
ものとなって久しかった。周りとの関係を全部捨てても、それがどうしたと。
どこまでひねくれたら気が済むのかよ。と今なら思うのだけれど・・・


紀伊半島一周徒歩旅。写真はその初日。と、いう事は、まだ家からさほど
離れていない場所。大和川の河川敷の朝。まだまだ余裕だぜ、と
調子付いていたら、やがて脚がガタガタになり、夜には徹底的に泣きが
入るという情け無いオチが付いた。


約600kmに及ぶ旅。人間ってなかなかなものだなって思った。
あれから12年。震災からも、間も無く12年。個人的天下分け目の1995年。


バブルの残り香漂う1995年。僕の世代は第2次ベビーブームで、受験も
大変、そして就職難。なのにその当時じゃ考えられないような大きな
企業に、あるコネで(!)所属させて貰う幸運に恵まれたが、しかっし
当時はすぐにそれが幸運だとは到底思えず、じきに嫌になってしまって・・・
最終的には、周囲に少し迷惑を掛けました。お馬鹿にも程があるねえまったく。
ほんとに今は反省しておりますよ、当時の皆様方、ごめんなさい。
でもその報いは一応あれこれ受けたかと思われるので、チャラにして、とは
言いませんが、それ見た事か、と笑って下さればこれ幸いかと・・・


でも、嵐が去った今の僕には、全ては懐かしい想い出なのでして。
比較対照の渦から遁れ、社会的みてくれを気にする必要が無くなった
現在、気持ちがとても楽なんよ。他者からどう思われようが、
知った事か。これからは好きに振る舞うぞ。気楽に行きましょう、
出来うる限り。出来うる限り。出来うる・・・


でも、気持ちが楽でも、ここの所体調が安定しません。困ったなあ。
急速に眠くなったので、ここいらでやめとく。
明日もいい日にしてみせますよ。おやーすみ。