日々の暮しはいやでもやってくるから

襟裳岬にある歌碑

辿り着いた襟裳岬は、歌に聴こえた通り、
何もない所であった。


周辺は濃い霧に覆われ、すぐ近くからは霧笛が
腹に響く重低音を、絶え間なく轟かせている。
もっと観光地化されているのかと思っていたが、
この最果て感はどうだ。宗谷岬の比ではない。


それとも、このあまりに濃い霧が晴れれば、
やはり在り来たりな俗世の煩わしきが目に
飛び込むのか。


襟裳岬」の歌碑がある。なんだそんなもん、
と思いつつも、やはりついつい写真を撮る。


僕は所詮は俗世からやって来た、風来坊を
気取ろうとして恥ずかしく失敗した俗物なのだ。
僅かなお金と、それなりに余っていた体力を
浪費せんが為に果ての地にまで及ぶに至った
ろくでなしだ。逃げて来ただけなのだ。


ロクな死に方しそうにないな。ああいやだいやだ・・・



何時だったか「襟裳岬」という歌の誕生秘話(?)を
特集した番組を観た事があった。


この歌を歌った森進一が、3コーラス目の歌詞に
ついて、感慨深げに語っていたのを覚えている。
この歌をレコーディングした当時、私生活で酷い
ゴタゴタに巻き込まれていたらしい。そんな状況の
中で目にした歌詞の言葉は・・・



「今宵弾く・歌う1曲!」その18
襟裳岬」今宵は吉田拓郎バージョンでボソボソと。


ベスト

ベスト


日々の暮しはいやでもやってくる。
いやでもやってくるような毎日は、
やはり、いやな事ばかりが降り掛かる。


でも、そこで怒り狂ったり、泣き叫んだり、
この不条理はどうだと、ぶつけ所のない糾弾に
尽力するのではなく、ただ「静かに笑ってしまおう」と。


生きてゆくのが、何となく息苦しい。
相も変わらず幼稚な自分が嫌いだし、
臆病で踏ん切り付けの下手な自分が嫌いだ。


でも、「静かに笑ってしまおう」とあるのを
素直に受け入れると、微かながら、楽になる。
そう、静かに、笑う、のだ。そうすれば。


今なら、こんな僕にも、何だか解る。
霧の襟裳岬でぽつねんと佇んでいたあの頃よりも。


静かに笑ってしまえばいいのだ、どんなに
嫌な事を、悲しい事を経験しても。いや、本当に
それで済ませられるかどうか、甚だ自信は無いの
だけれど・・・でも、ね。

あああ、書いた書いたアホ文を。
明日はようやくお休みだい。
でも明日休んだら、次の休みは
4月16日だい・・・orz
とっとと寝る。明日もいい日にしてみせますよ。


おやすみなさあい。