藤棚

明日からの入院を
控え、なるべく今日の
うちにやっておきたい
事があった。


ケアプランの交付や
アセスメントシートを
作成しておいたり訪問も幾つか。あとは退院してからどうにか
していくしかない。住宅改修の理由書作成が一番先にかから
なくてはならないものになると思う。その後は一気に訪問やら
なにやらだが、抗がん剤の影響がどの位出るかによって
無理しないようにと考えてはいる。


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くろさんへ。
まだこちらをご覧になっておられますでしょうか。私はいよいよ
明日から再入院となり、抗がん剤治療に入ります。1週間程度
なので気楽に行こうと思いますが、やはり気持ちは時々重く
なりますね。でも他に手がなく、最終的に自分で選んだ道
なのでこれでいいのだと思っています。きっと良くなる、
またもっと元気になれると信じています。そこには意外に
悲壮感のようなものはなく、うまく表現できませんが、
なんでしょう、解き放たれたような感じがするのですね。
治療に次ぐ治療、副作用や身体への直接的ダメージは確かに
あるのでしょうが、今後は最小限の事から再出発するという
事なのもあるのか不思議と気負いがないのです。


この治療を続けて行く先にどういう結末が待っているのか
もうきっと誰にも判らないと思います。くろさんが仰る通り
自分の命が他者よりも短いかもしれないという怖ろしさは
私も散々味わいました。でも、反対に短いかもしれない中で
ではこの人生において私に何ができるのか、自分だけの為
だけではなく、なにかの為にできる事があるのではないか。
今の私にとっては仕事上で、誰かに自分の考えや専門職と
して伝えていきたい事柄があり、それをやっていく事なの
ではないかと考えるに至りました。


自分が生きている意味、ではなく、生きている自分がこの
時代や社会、人生の中でなにができるのかを考えています。
あるかないか判らない意味の模索ではなく、目の前にある
やるべき事、伝えるべき事、もしもそれがわからなくても
誰かに素直な気持ちを伝えておく事・・・かなぁと。


病は恐ろしく忌むべきものです。できれば私もがんになど
なりたくなかった。でもこうしてなった以上はその渦中で
自分が感じた事、見つけた事をなんらかの形で伝えて
行きましょう。そうする中で少しだけ冷静に病と自らを
見つめ直す事ができるかもしれません。こうなってしまった
からこそ顔を前に向けられる事もあるかもしれません。


綺麗事では済まないけれど、もがく中に見つけられる
綺麗なものもあるかもしれません。前を向きましょう、
そして弱くてくじけそうな自分こそが本当の意味での
人間らしさを持った綺麗な自分なのだと思ってみましょう。
私はそんなふうになれたらいいなあと、まあ無理矢理な
所もありますが、考えたりもしています。
希望でも絶望でもなく、今私が感じているという、
生きているという現実が既に奇跡的な事なのだと・・・
これは、生と死を目の前に考える私たちだからこそ
持ち得る思考なのかもしれません。