1995年・灘郵便局より

毎日あまり体調が優れず
昨日など吐き気と腹痛に
悩まされながら、しかし
どうにか日々乗り切って
いる。


最近は退院直後の何事も
感謝の気持ちをふと忘れそうになる。生きてたのに。あの時の
苦しさやら不安やらも、喉元過ぎれば何とやらなのだろうか。
いや、実際の所はあまり長い事憶えていたら精神的に辛く
なるからその辛い部分を都合よく忘れ去って楽になりたいなと
いう心理が働いているようないないような。自分でもよく
判らない部分である。辛いのは今日の辛さであり、過去の
辛さはもう過去のものになっている。今辛い事がしんどい。


仕事柄しんどい人やその家族と面談し、時々それらの人々が
過去に乗り越えたり乗り越えられなかったりした経験など
聞いたりする事がある。僕は 「そんなに辛い事を乗り越えて
来られたのだから、今の苦しさもきっと乗り越えられますよ」
なんて言葉をつい口にしそうになるが、飲み込んでいる。
辛いのは今であり、過去より連なる今であり、消えない今
なのだ。乗り越えようが乗り越えられまいが、今苦しい
事をどうにかしたいのだ。過去は過去であり、それは
それであり、でもしかし辛さは連なっていて消えない。


どんな辛い目にあっても今生きているのだから頑張って
とは言えたものではない。今の辛さが過去から引きずった
ものであったなら、今の辛さは今生きている心の中で
蠢いているどうしようもない澱のようなものなのだ。
時々、漠然とそんな考えが足りないアタマの中で巡っている。
では、過去の辛さも今の辛さもそのまま抱えて生きている
人に、どうやって声を掛けたらいいのだろうか。