2014年・雑賀崎の集落

さて、本日は僕が
ケアマネとして
担当していた数少ない
要支援の方の最後の
引継ぎを行なった。


丁度2年間担当したが
この度包括内ではなく
よその居宅支援事業所のケアマネさんが引き受けて下さる事に
なっていたので合流して訪問、引継ぎを行なった。利用者さんは
「さびしくなるなぁ、j-45さんにはほんとうに世話になったわ。
我が侭ばっかりお願いしてたし、ほんとにごめんな」と言って
下さった。確かにこの方に関しては色々とあったし、お話好きで
普段交流の少ない独居の方だった事もありモニタリング訪問時は
軽く1時間は費やしていた。この方のお話が面白かった事もあり
最初は正直「おいおいもう1時間越えてるよ早く引き上げてえな」
などと思っていた僕も何時しか訪問が愉しみになっていた。
工夫をすればいい、時間をたっぷり取れそうな時を狙って
訪問していたのだった。遠い昔の時代の話を聞かせて下さった。


引継いで下さるケアマネさんにはその辺りの経緯もお伝えして
いたが、「大丈夫ですよ、私もそんな感じでがんばります」と
言って下さった。無理なお願いをしてしまい申し訳なかったけど
このケアマネさんはこれまでも様々な案件をお願いしていたので
安心してお任せ出来ると思っている。担当が替わってもこの人じゃ
なきゃいけないという事はあってはならない。同じように支援を
続けてこそケアマネではないかと。寂しいけれども、それでいいのだ。
「では来月からはこの××ケアマネが○○さんの相談に乗ったり
するので、どうかお元気で、寒さがきついからくれぐれも
身体にだけは気をつけて。ああ、お食事もしっかりとらなきゃ
云々かんぬん・・・」


人生の中のたった2年間、たまたま出逢って頑張って担当して、
そして二度とお会いする事もないであろうが、あっさりとある日
お別れする。別れ方は時に死別である事もあり、こんな感じでの
別れもある。でも、いずれにしてもあっさりとしたものだ。


来月は僕がかつて担当していたが自死を選んだ方の命日(正確には
担当を外れた後だったのでその日にちまでは知らないが)があり、
この数年間毎年身を投げたという大きな川のほとり(僕の地元に
近い)に花と線香をあげに行っている。今年もまた行こうと思う。
その方はもうこの世にいないが、僕はまだ何故かこの世にいて
また職場が変わりそうで、相変わらずおひとりさまで、エッチな
事ばかり考えていて、あまつさえ有休消化で旅にでも出てやろうかと
画策しているもうどうしようもなくなった男である。
何時かこの世と別れる時、僕はこれで良かったのだと思えるの
だろうか。様々な不幸と幸せのかたちを考えながら、自分はこれで
良かったと心からそう思えるのだろうか。


明日はシフトの関係でお休みです。次の居場所となる事業所に
面接ではなく顔を出す事になってます。まあもうかつて何度も顔を
出してはいるし馴染みの先輩もいるしなので気軽においでと
言われているので普段着で行って来ます。いいんだろかこんなんで。
寝ます。明日もいい日にしてみせますよ。ではまたね。