2011年・JR湖西線

退職に向けて最近は
僕がこの約3年弱に及ぶ
包括職員として関わった
相談やら業務やらの
支援経過記録を見直して
いる。


自分ではきちんと記録して
いたと思うのであるが、訳の解らない記述や不適切な表現が
時々見つかるのである。こりゃいかん。それとケアプランの
モニタリング記録に抜けがないかも自主的にチェックしている。
どうせ去るのであるが、引継ぐ方々に申し訳ないので。しかし
まあ色々と書いた事書いた事、あんな案件こんな案件色々と。
たった3年弱ではあったがどんだけ濃密だったのかと自分が
書いた膨大な(?)記録をざざっとだけど読み直してみると
びっくりしてしまう。虐待が疑われる通報ケースの初期対応の
記録などは緊張感があり結構どきどきして読み返してしまった
(おい、一応仕事中だぞ)。まあ僕の事なので力不足で
大した対応は出来なかったのかもしれないが、それでも
どうにか記録しようと足掻いていた形跡は見て取れなくもない。


事実を記録する、客観的に、時に根拠を交えた主観も入れる。
対象者の発言をそのまま記載する、憶測ならば憶測と明記して
しかし最終的には何が本当の事なのかを探って行く。いやあ
なかなか難しい。こんな日記みたいなクソ文ならば書く事さえ
あれば幾らでも書けるのだろうが、支援経過記録ってのは
難しかった。居宅ケアマネの頃だって散々書いていた筈だが
包括に来て表現のいい加減さをより排除しなければならないと
学べたのはそれはそれで貴重だったと思う。支援者としての
記録は、不思議且つ語弊があるかもしれない表現ではあるが、
時に自分自身の心と向かい合う事になるのだと気がついた。
自分はどうしたいのか、問題に直面した時にどう行動して
行こうと思っているのか。記録する事でそんな思いに向かい
合うのかもしれないなと。


これからも色々な心の記録を続けるのかなと。拙い文章で。
この日記は自分自身の事を記録しているが、そちらも同時に
行ける所まで書いてやろうと思っている。何時どうなるかも
解らんが。寝ます。明日もいい日にしてみせますよ。ではまたね。