2007年・下町のネコ

双極性感情障害の悪化で
精神科病院に任意入院
した方の面会に行った。
僕が直接ケアプランを
担当している要支援の
方である。


鬱と希死念慮から来る
もので、任意でよく入院して下さったと思う。入院時は僕も
同行したが、それから幾許かの時間が経過し、病院の相談員に
連絡を入れてから本日面会に行ったのであった。しかし今度は
躁状態にシフトしており、面談すると「やあやーよく来て
くれたねえ!」と開口一番。鬱状態が悪化している時は会話も
極めて慎重に言葉を選び抜いていた位だったが、なんだのだ
この変わり様は。個室の面談室にて対話したが、テンションが
異様に高くなっている。退院したらあれもしたいんだよこれも
したいんだよあそこに行きたいんだよああだこうだそうだどうだ。
これが双極性感情障害(躁鬱)ってやつなのか。


暫く傾聴に徹したが、入院している事に関しては悪く思って
いないらしい。精神科病院のイメージって知らない方はどう
お思いだろうか。何処か郊外やら山間部やらにあって暗くて
鉄格子なんかあって・・・ってなとこかい、知らんけど。でも
近年はまるでイメージが違う病院もある。僕が本日訪ねた病院は
とても明るくて街中にあって、しかし穏やかでいい感じなのだ。
でも病棟と看護師等の詰所の間には完全防音のガラスの仕切りが
あり、面会者は詰所の中から鍵のかかったドアを開けて貰って
病棟に入る事になっている。調べてはいないが重度者向けの
閉鎖病棟もある筈だ。


相談員やDrに聞いてみるとこの方の退院についてはまだ
当面目処が立っていないとの事。その方には僕が退職する
とか担当が替わるとか結局話す事なく、時間をかけてでも
ゆっくり療養してくださいねとだけ述べて去る事とした。時が
来て、退院の目処が立ったら包括に連絡してくれればいいと
相談員に述べて去る。引継ぎは出来ないままだったが、でも
どうにかしてくれるだろう。躁と鬱の間で揺れ動くこの方を。
僕はもう去るしかなかった。気が重くなったが、仕方ない。


病院のある街は僕が勤める市内ではなく他市であった。駅の
周辺には地方都市のあちこちで見られるような少し懐かしい
感じの商店街があり、その界隈で遅い昼食を摂った。いい感じの
街だな。もう、恐らく二度と来る事もないだろうけれども。
「春が来てあったかくなったらあれもこれもどんどんして
やろうと思ってるんですよ。人生明るくってねえ!」と
躁状態に入っているあの方の発言を少し寂しく受け止めた。
寝ます。明日もいい日にしてみせますよ。ではまたね。