1995年・灘郵便局より

自分の事ばかり考えて
いる。気持ちにまるで
余裕がなく、また
してもの退職転職を
前に気持ちも揺らいでいる。


本日も余裕なく過ごし、
寒風の中1日が過ぎて行った。気持ちは塞ぎがちになるし
幸せそうな人々を見ると少し苛々としてしまうしで何と
心のみみっちいヤツかとウンザリしてしまう。


阪神淡路大震災から22年が経過していたのだと今朝のニュースを
観て時の流れを感じた。当時学生だった僕は現地に住む親戚の
家に水やら食料やらをオフロードバイクに積んで何度か往復して
いた。その後アルバイトとして被災地の郵便局で暫く働いた。
自分なりに頑張っていた、若くて何も知らなくて兎に角何か
役に立ちたいと思っていた。今のみみっちい俺よりずっと
純粋だったと思う。


沢山の人が死んでしまったのだな。生きていなくていい人間だって
沢山いるのに、死ななくてもいい人間が死んでしまったのだな。
東北の震災も、昨今の熊本やらの震災も、唐突に自然は
誰かの幸せを奪って行くのだ。人が生きて行く意味とは何だろうか。
基本的にはただ生まれて、ただ年を取って、ただ死んで行くだけ
なのかもしれないが、人間とはそうは思いたくないものなのだ。
存在する事に意味を持ちたい。何かの為に生きているとどうにか
して信じたい。意味なんてどうせないのだという現実に時々
直面し愕然としながら葛藤を繰り返すのだろうか。


幸せそうな人々を見ると少し苛々しているこんな僕も、実は
誰かから見たらかなり幸せそうに見えているのかもしれない。
まあ有休消化で旅にでも出てやろうかなんて画策してやがる
ものな。自信をなくして自身を卑下しそうになっている事を
何となく恥じた。時が経てば成長して成熟していけると思って
いたのに、時が経てば経つほど自分が解らなくなってしまった。
でも死んだ人はそんな悩みすらもう抱けない。


また、神戸の街を訪ねてみようかな。震災後の街を何度か
訪れた事があったんだ。瓦礫のあの風景は、毎日のように
通ったあの風景は今も目に焼きついている。生きる事に意味は
ないのかもしれないが、生きているのだから生きて行こう。
勝手に終わらせない。続けたかったのに唐突に終わってしまった
人の為にも。頭に巻いた包帯に血を滲ませて歩いていたあの
ちいさな女の子は今どうしているだろうか。
当時撮影した写真は毎年この日が来ると載せている。数少ない
けど、自分を見つめ直す意味でもまた来年も載せるかも
しれない。同じ事を何度も何度も書くのだろうと思う。