ケアマネとしてカテゴリとどちらにしようかなと思いつつ
昨夜の続きみたいなタイトルをつけたけど結局こちらで。


さて、法人の忘年会を欠席した僕だが、部署内の忘年会は
流石に欠席出来ない。乗り気じゃなかったけど参加した。
その前に少し時間があったので退社後その地域のショッピング
センターの書店で立ち読みしていた。集合時間が迫ったので
そこを出ると、法人の若い女性職員さんがちょいとヤンキーっ
ぽい男性とにこにこしながらショッピングセンターに入って
来た。ああ、あの方か、地元の方だったんだな。あれは彼氏さん
だな。いいじゃないか幸せそうじゃないか。幸せの形って
いろいろあるけど、結局型にはまるのが一番いいのかな。
型にはまれなかった奴の負けネコの遠唸り(なにそれ)かね。


どうしたら型にはまれるのだろうかと悩んだりしたりもしたし、
しかし型にはまってみたらやはりしっくり来ない。忘年会の
間中、およそ発言らしい発言もしないで気持ちは逡巡していた。
でも考えてみろ、僕は今まで型にはまりきれなかったから
社会からはみ出て、福祉の世話にならなきゃならなくなった
人々と散々関わって来た。それでも人は生きて行けるのだ。
その生き方に満足は出来ないかもしれないが、型にはまり
幸せそうに見える人々の陰なる不幸と、はみだしもまた色々と
見て来た。僕は傍観者であり、時に支援者であったが、僕も
そんなはみだした人々の実はひとりに過ぎなかっただけの話
ではなかったか。


認めてしまえばいいだけの話なのだ。はみだしている事の
何がいけない。たった一度の人生、お金も名誉もあの世には
決して持って行けない。ならばせめてはみだしてしまっても
自分が少しでも望んだ生き方を貫き通せばいいのではないか。
でも一方で型にはまる事で安心したいという考えもよぎり、
葛藤が続いている。僕ももう若者ではないが、心が老いる事は
どうやら認めたくないらしい。だから常に混乱し、逡巡に
明け暮れ、固着を否定してしまうのだ、このウスラ莫迦ものは。


ほとんど酔えなかったので帰宅して呑み直してます。でも
明日も(今年最後の)勤務なのでほどほどにしとかなきゃ。
人生のはみだし者は、でもせめて跡を濁さず今いる場所を
去りたいなと準備を始めておりまする。いいんだよね、きっと
これで。自分が選んだ道なのだ。寝ます。明日もいい日に
してみせますよ。ではまたね。