霞んだ町の川

包括職員の僕は要支援の
方しか担当出来ないが、
それでもケアプランを
幾つか担当している。


そんな中で難病を抱え
つつも現在安定している
利用者さんがとある町の大きな病院に本日受診されるとの事なので
受診に同席させて頂く事となった。担当開始からまだ数ヶ月とはいえ
主治医にも会えていなかったのでいい機会であったし、遠方に住む
ご家族もこれに合わせて来て下さるとの事なのでお会い出来る。
これまで電話のみでの連絡だったから直接お会い出来て本当に良かった。
独居の方なので介護保険サービス以外にも地域ぐるみでゆるやかに
支援出来る体制を作りたいと思っている。久々にケアマネ業務らしい
事をしたかなって感じである。最近は他の業務にぐりぐりと振り回されて
いた感じで、結構精神的にしんどかったものなあ・・・


行き道、少しだけ寄り道しながら自転車を漕いでいた。ふと、スマホ
取り出して撮影。本日のTOP写真がそれである。少しの間そこに僕は
佇んでいた。特に美しい風景が広がっている訳でもなく、ただの川で
ある。空はくすんでいるし川も美しくない。でもふと、心惹かれた。
まるで昭和40年代あたりの風景みたいじゃないか(いや、その頃知らない
ので想像だけど、と一応書いておく)。いや、もしかしたらその頃から
そんなに変わっていないのかもしれないな。当時は光化学スモッグ
多かったらしいからしょっちゅうこんなくすんだ風景が広がっていたの
かもしれない。


40年以上前の事を本日会った利用者さんに聞いてみたら、忙しく、
がむしゃらに働いていたらしい。もしかしたらこんなくすんだ
空の下で、将来難病なんかに罹るとはおよそ考える事なく高度成長期の
働き手として頑張っておられたのかなあと、ふと想像してしまった。
時が移り変わり、あの頃活躍していた方々がどんどんとこの世を去って行く。
時が移り変わり、若者だった筈の僕もそれなりな歳に気がつけばなって
いた。帰路、同じ場所に立ち寄った。くすんだ空の下でこれから僕は
どうなって行くのかなあと、そしてもしかしたら40年以上前に生きて
いた方々も今の僕と同じような漠然とした不安や寂寥感を感じながら
時代を生きていたのかなあと、ふと思ってみたのだった。人間なんて
そうそう変わるものではない、きっと、そうなのだろう。そして何かを
感じ、何かを得て、何かを諦めて、何かを捨て去って、やがて時を
終えるのだ。


その時代にもし今の感性を持った僕が生きていたとしたら、何を感じて
何をしていただろうか。なーんて事を遅い昼食を松屋で摂りながら無駄に
想像してみたのでありまする。遠い遠い風景を思いつつ。
寝ます。明日もいい日にしてみせますよ。ではまたね。