2012年・落合下渡船

今週も始まりました。
本日もまた暑かった。
オリンピックも終わって
しまい、何となく気が
抜けた。4年後は東京か。


4年後か、俺は何をして
いるのだろうか。長年
日記をつけていると何年も前の自分を振り返る事が出来るが、例えば
4年前だと居宅ケアマネをしていて、社会福祉士の通信講座を受講していて
レポートを書いたりしていたようである。遠い昔のようであり、日記を
読み返してみたらああ、そうだそうだとつい昨日の事のように思い出したり
結構面白い。もうひとつ。4年経っても俺のアタマの中身はまるで進歩していない。
恐らく4年後も進歩してないだろう。退化している可能性も高いのでもう
うんざり・・・していても仕方がない。進歩はしていなくともどうなろう
とも俺は俺なのだ。ただ、確実に歳をとっていくのでどうしたら醜く老いる
事なく(見かけだけではなく、心も)素敵に歳月を積み重ねて行けるの
だろうかとふと思う。最近はとみに後ろ向きな考えに囚われがちで
落ち込みがちである。このままで済ますのも馬鹿馬鹿しいではないか。


気分を変えたいなと思う。気持ちが落ち込めば身体も落ち込んで行く。
それにあわせて老け込んで行くような気がする。どうせ歳はとるが、
無駄に老け込むのはごめんである。4年後も、今の姿を保てるように
気をつけたいのであるな。人はそれを「若作り」と呼ぶとかどうとか。
いや俺は歳相応だけれども無理のない若々しさやら清潔さやらを
目指すのである。身体鍛えてないし何もしてないけどまるで変わらない
手前の体型やらなにやらに取り敢えず感謝しておこう。おっさんに
なってもおっさん臭くはなりたくないのである。


もしも4年後にまだ性懲りも無くこの日記を続けているのなら、その時の
俺はもう少しだけでも前向きになれているだろうか。進歩してなくても
いいし偉くならなくてもいい(いやそれはもう無理だし)でも今よりは
素敵に歳月を積み重ねていて、例えひとりもんのままでも素敵に生きて
いると思えていられたらいいな。無理かな。安定していなくてもいい、
まだ生きていってやると思えていれば、きっとそれが素敵な人生なのだ。
幸せの基準を自分で決めて、それに則った生き方をしたい。4年後に
今日こう書いた事を見返した時、俺は何をしているのだろうか。
儚い時の流れの中で、何を感じるのだろうか。人生は、ただ一度なのだ。
寝ます。明日もいい日にしてみせますよ。ではまたね。