ネコものびている

鬱病から何もする気が
なくなり、その結果
なのか体調まで崩して
しまった高齢者の
お宅を訪ねた。


その方の要介護認定申請を
代行する事となったが、
状態が良くないので恐らく悪くとも要支援の認定くらいは出るのでは
ないかと見込んでいる。老年期の鬱病というものも存在する。僕など
昨年から毎日冴えない気持ちが続いているが、人生の終わり近くに来て
鬱病になってしまうというのは一体どんな気持ちなのだろうか。折角
長生きして来たのに、生きている事に辛さしか感じない老後って。


その方の話を伺っているうちに雷が鳴り出した。そしてみるみるうちに
土砂降りの夕立となった。雨か、夕立か、俺の中にわだかまっている
何かをこの雨が洗い流してくれないものだろうか。気持ちが重い。
その方のお宅は団地だったが、辞去する際にその方から「ひどい雨
じゃないですか、傘持って行って」と。でも夕立だ、きっとそんなに
長引かないだろうし、事業所から結構遠かった事もあり、返しに行くのも
大変なので、いやいいんです雨宿りしていきますからと丁重にお断り
したのだった。でも傘を貸して下さるという気持ちは素直に嬉しかった。
こういう優しい方だから色々悩んで心を病んだのかな。世の中は
どうしてこう理不尽なのだろう。


団地の1階で空を見上げた。なんで俺はここにいるのだろうかと、バカ
みたいに思った。誰かの人生を支えたいからか、それともそうしている
自分っていいなって思いたいからそうしているのか、それとも・・・
ああやめた。俺も大概な歳になって来たけれども相変わらず駄目人間で
またもこれからの行き先を変えようかなんて考えたりしている。
落ち着きのない人生を送っており、恐らくそのままどこにも落ち着かない
まま終わるのだろうなと思っているし、それを受け入れる覚悟もしている。
じゃあ、落ち着いた人々はそのまま落ち着けるのだろうか、それは誰にも
わからない。幸せそうに見えたのにどうしてそうなってしまったのか
理解できない情況に陥った方々を幾度も見て来た。人生って何なのだろう。


そんなたわごとをふと。雨はやんだようだ。戻ろう。自分の居場所には
成り得なかったかもしれないけれども自分の人生の中で少しだけ身を
置けている今の居場所に。雨はやがてあがり、また空が広がるのだ。
別に何も変わらない。変わるのは俺の考え方であり、俺の居場所だけ。
なるようにしかならないのだ。そう考えたら少しは楽にならないかね?


寝ます。明日は日曜日。何もしないで気持ちだけ落ち着けたいのです。
明日もいい日にしてみせますよ。ではまたね。