僕が生まれた街

少し出掛けてみようと
思った。そこは僕が生まれた
町だった。昭和の高度成長期に
生まれた町であり、僕は
その後の安定した時代に
この町で育った。


もうこの町に知っている人は
いないし今更どうしたものでもなかったのだけれども何となく出掛けて
巡ったのであった。僕の記憶の中で、遠い記憶の中で美化されていたの
かもしれない町だった。遠い昔、東京から引っ越して来た両親が
千里や泉北のニュータウンに当選しなかったから辿り着いた町だった。
でも当時は最新の町だった。1980年代に小学生だった僕にとっては
既に古臭い町だったけれども、でもここは僕の故郷なのだった。
意味なく、ふと訪れた。


自身の在り方に不信を抱いていた。これまでの生き方に不信を
抱いていた。そんな事ばかり考えていたら無駄に疲れてしまっていた。


僕が通った幼稚園や小学校、診療所はまだあった。形は随分
変わっていたけれども。写真を沢山撮ったけれどもここには
載せない。どうせ僕だけの思い出なのだ。生まれ育った町の
変化に驚くと共に、公園や給水塔や団地の変わらない昭和の
風景に心が安らいだ。時は動いていたが、止まってくれている
風景もあったのだ。ああ、あのお店は残っていた、ああ、あの
公園はまだあった・・・


故郷の町はもう遠い存在になってしまったが、でも故郷には変わりない。
意味もなく訪れても故郷なのだ。誰も知らない人しかいなくても、
残している思い出のために。恐らくもう二度と訪れないであろう
故郷の町の思い出のために。


寝ます。明日もいい日にしてみせますよ。ではまたね。