2011年・紀三井寺にて

本日も来所相談を受けた。
突然来所された方への
対応だった。


恐怖感はまだまだ抜けないと
思っていたが、お話を
伺って行くうちに僕は
相談内容に集中出来ている
事に気付いた。今回も結構深刻な相談内容であったし、決して一朝一夕で
答えが出せるものではなかったが、答えをすぐに出す事が必ずしも正しいとは
限らない。相談に耳を傾け、何に困っているのか、どうしたいと考えて
いるのかをじっくりと聞き出す事が必要なのだ。誰にも話せずどうしたら
いいか解らず、取り敢えず相談窓口と謳っている包括にやって来た方に
どうすればほんの少しでもその不安が和らげるよう助言出来るのか。
自身のコンディションが悪かったからこそ、今後への不安と恐怖を感じた
からこそお伝え出来る事があるのではないか。僕も今まで以上に真剣に
話を聞いた。もしこれが自分の事だったらどうして欲しいのか、どういう
言葉をかけて欲しいと思うのか。一言一句を極めて慎重に選んだ。


「お話を聞いてくださってありがとう、それだけでも心がすっとしました」と
相談者は涙を流しておられた。本当に辛かったのだろう。僕みたいな
大した力にもなれない赤の他人に苦しみを語る事は勇気がいった事だろう。
でも、話す事は大切な事、そしてそれを受け止めて聴く事もまた大切な事。
僕はすっかり余裕がなくなり、受け止めて聴く事が出来なくなっていた。
ほんの少しでもいいから力になりたい。悩んでいる人がいて、何でもいいから
救いの糸口を見つけたいと足掻いている人の力になりたい。支援者になりたい。
僕も悩みながらグダグダになりながら生きている。誰かに助けて欲しいけど
そんな駄目人間が支援者なのだ。でも駄目人間だからこそ出来る事を探したい。
それは自己満足なのだろうか、いや、それだけじゃない筈だ。


支援に完璧な答えがないように、僕がこれからどうしたらいいかの答えも
結局ないのだろう。答えを出す事はしかし目的ではない。困っている人の
心と、それに向かい合う自身の心に向かい合う事なのかなぁ・・・解らない。
それは兎も角、僕はほんの少しだけまた自信を取り戻した気になった。
気になっただけなので油断禁物ね。
明日もいい日にしてみせますよ。ではまたね。