師走の空

昨日の公休は病院に行って
そのまま帰宅しようかと
思っていた。しかしふと
思いついて以前通っていた
街を少しだけ再訪して
みようかなと遠回りしたの
だった。

昨日は暖かく、薄手のコートで充分。駅を降りて百貨店で洋菓子を購入し
それをぶら提げてのんびりと歩いた。普段の僕はどうもせかせかと歩いて
おり、何となくせわしなかった。最近は急いでいない時は意識的に
ゆっくりと歩くようにしている。心を落ち着かせるための呼吸法を続けながら。



途中、ドヤ街釜ヶ崎を通過した。ここも懐かしい場所だ。


西成警察周辺には炊き出しに並ぶ人々が。僕がここに来た10年前と何にも
変わっていない。当時、認知症の利用者さんが並ぶと言ってきかないので
そのまま一緒に並んでお粥を貰った事があったっけ。懐かしいな。でも
あれから時が流れ、更に高齢化が進んでいる。生活保護を受ける人も増加
しているのだろう。日雇い人夫達の宿泊所であるドヤも、どんどん福祉
マンションに鞍替えしている。


街頭テレビのある三角公園。一般人は立ち入れないとか何とか言われて
いるらしいがカメラまで向けている俺って・・・でもそれも慣れているから
だけで、実際には色々と注意は必要でございます。


少しずつ変化して行っているのだろうけれども、でも変わらないなあという
印象であった。忌み嫌われる地区だけれども、それなりに出入りしていた
僕には妙に懐かしさを感じてしまう不思議な街でもある。


釜ヶ崎を通過して相当な距離を歩いた。百貨店で洋菓子を購入したのは
以前同じケアプランセンターに勤務していて大いに世話になった主任ケアマネ
さんにお会いして渡したかったからなのだった。昨年の早春、就職活動中の
折にもその方が所属する事業所に脚を運び、何度か話を聞いて貰ったりして
たっけ。ただ今回は思いつきで伺ったのでその方とは出会えなかった。
他の職員さんにお菓子と名刺を渡して辞去したのであった。しかしその後
地元の駅を降りた辺りでその方からお礼の電話を頂いた。


日が暮れてからその方と電話であれこれと話した。自分が自律神経失調症
なってしまった事、今後について悩んでいる事などなど。一緒に仕事をして
いた頃には大先輩として色々と意見を貰ったがそれだけではなく本音で
ものが言い合えたし、それ以外では冗談ばかり言っていたっけか。
ナアナアになる事もなく、突き放す事もなく、今回も適切なアドバイス
頂けた事に感謝の念を禁じ得なかった。単純に嬉しかった。そしてまた
機会を作って当時のケアプランセンター時代の皆で呑みに行こうと。


電話を切ってから、実は少しだけ泣いた。歳の所為か涙脆くなったなあ・・・
ではなく、実は僕は昔から涙脆かった。でもいつしか気を張って泣く事を
避けるようにしていたのだった。でも今はもう泣いてもいい時期なのかも
しれなかった。逆に今泣いておかないとこれからが辛くなりそうな気が
しないでもない。自分を閉じ込めちゃ駄目だ。固めてしまっては駄目だ。
脆い自分を受け入れたくないなんて思っては駄目だ。そもそも駄目人間じゃん。
この先どう偉くなりたいってか。無理だろそれ。だったら脆さを受け入れろ。


「j-45さん、あんた相変わらずあれこれ悩んで青春してんなぁ・・・アハハハハ!」
だって。はい解っておりまする。歳食った割りに青臭いままなのでございます。
この年甲斐なき青臭さをどうすれば前向きパワーに転換出来るのかしらん?
寝ます。明日もいい日にしてみせますよ。ではまたね。