鯛よし百番

昨夜の余韻もへたくれも
なくグダグダと寝ていた。
夢は夢であり、現実は
現実なのだという事を
ただ思い知らされる
だけなのだった。
まあよくある事だが。


部屋の中が凄い事になっている。以前ゴミ屋敷対策に奔走した事が
あったが、その家の主は高齢独居の男性だったっけか。あの時、
「これって未来の俺だよね」とうすぼんやりと思ったものだったっけか。
狭い部屋にあれもこれも置きすぎている。捨てる事がなかなか出来なくて
何となく置いているものの何と多い事か。思えば僕の人生は要らない
ものを何と溜め込んで来た事か(笑)でもその時々の僕にはそれなりに
要るものだったのかもしれなかった。


しかし時間は過ぎ、歳月は流れている。何時までも過去に縛られる事の
馬鹿馬鹿しさも承知している。残していた方がよいものと残す事が
先へ進む事を阻害しているものが何かも一応把握している。
でもそんな事を冷静に考えられるようになったのは近年の事である。
何でもかんでも残したいと思っていた時期も確かにあった。でも
あの世には何にも持って行けない。あるとすれば思い出だろうか。
それはモノではなく心にきっちりと刻み付けられたものなのだろう。
それは誰かを好きになったり、誰かをあの世へと見送ったり、自身が
遠くへと旅をしたり、生きて行くのがしんどくなったり、それでも
また生きようとやり直したりするような、風に揺さぶられる竹林の
ざわめきのような不安定な気持ちのうつろいなのだろか。


と、まあぐだぐだと書いているが、取り敢えず何かを少しずつ
変えようと思った。手っ取り早いのは部屋の片付けである。上述した
ように僕の部屋は未来のゴミ屋敷候補である(?)取っておいても
仕方のないものを少しずつ捨ていこう。少しずつ捨ててみると
何とまあ要らないものの多い事か。僕の人生は無駄を溜め込んで
ばかりいたのではないかとすら思ってしまう。実際そうか。
モノや気持ちを溜め込んでしんどくなっている方々の支援を精一杯
していたが、実は僕自身が様々なものを溜め込んでいたのだった。
今までどうしてそんな自分と向き合ってこなかったのだろうか。
怖かったのかもしれなかった。結局自分には何もないのだと
思い知らされるからか。でも、それをしなくてはいけない時期が
どうやらやって来たようだ。だから、やってみるのである。


明日もぼんやりと過ごします。心と向かい合う事は恐ろしいけれども
それが出来ないまま終わる人生のほうがもっと恐ろしい。いい歳して
向かい合う心の中にはきっと乗り越えたら支援者として強くなれる
まだまだ可能性が潜んでいるのかもしれないと、ふと思ってみたく
なったのだった。寝ます。明日もいい日にしてみせますよ。ではまたね。