世紀を生きて

梅雨の青空

梅雨の2日目のこの
青空は何だ。爽やかな
風は何だ。まあ梅雨に
入ったから毎日雨って
訳でないのは解るが、
それにしてもである。


でも今日は出掛ける事が
多かったのでこういう
天気は大歓迎である。体調も悪くない。気分もまあまあってとこか。
次の日曜日は地域のイベントに参加させて頂く事になり出勤と
なった。そんな時期に体調崩していたら最悪なので本当に良かった。


本日はとある施設に行った。関係者からの相談を受けてお会い
したのは何と100歳を超えた女性だった。その方の詳細は
勿論書けないが、兎にも角にも僕はそんな方にお会い出来た
のである。考えてみて頂きたい、普通に生活していてそんな
お歳の方にお会い出来る機会って、そうそうあるだろうか。
高齢化社会の中で100歳以上の方も増えているとは聞くが、
実際福祉の世界で働く僕でもそんな方にはそうそう出会えない。
ケアマネや包括職員なんて下手したら60代で身体を壊して
介護を受けている方を担当する事だって多いのだ。


世紀を生き抜いてこられた方だ。それだけで何か特別な力を
感じた。思わず手を合わせてしまいそうになった。生きて
来られたのだ。あの時代もこの時代も見て来られた方なのだと
想像しただけで不思議と胸が熱くなった。こういう感覚、
あんまり解って頂けないかもしれないが。そして僕がこの方と
お会いするのはこれが最初で最後。もうきっと二度とお目に
かかれない。一目でもお会い出来て良かった。長く生きる事が
ある人にとっては苦難と不幸でしかないかもしれないが、
長く生きた事でその存在そのものが尊いものになる方だって
必ずいる。人は、ただ生きている訳じゃない。生まれた
からには何がしかの意味と使命を持っている、そう信じたい。
それが信じられない奴や、それを知ろうとしない奴がきっと
様々な問題を生み出して・・・って話が長くなりそうなので
やめておく。


僕の人生はショボイまま終わるのかもしれないが、世紀を
超えて生きて来られた方とお会いして胸が熱くなったこの
感覚を絶対に忘れたくないと思った。人と関わる事があまり
得意でなかった奴が、人の相談にのる仕事なんかしている。
矛盾を山のように抱えつつも、それでも何とか支えたいと。
それは他人の為のようでいて、実は自分を救い上げる事
なのかもしれないのだなと。そんな感覚もついでに忘れるな。
寝ます。明日もいい日にしてみせますよ。ではまたね。