春よこい

最近思う事がある。
僕は人生に於いて
何を成し遂げられるの
かなあと。


困っている人の支援を
しているが、自分も
また困っている人だ。そんな男が支援者になるなんておかしいと
以前は思っていた。自分がある程度強くなければ、正しさの中で
生きなければと。僕はよく「負けるものか」とこの日記に書いている。
本当にそう思っているからだ。でも結局の所僕は強くはなれないし
負けてばかりだったりもする。正しいかと問われれば何が本当に
正しいのかがだんだん解らなくなっている。より難しい案件に関わるに
至り、支援者としての在り方そのものにも疑問を禁じえなくなっている。


しかし、疑問に思い、自分は向いてないと思い、自分も困って
いるその姿こそが全国各地で奔走する支援者達の現実なのかも
しれないと最近思うようになった。いや、大分以前からそういう
ものかなあと考えてはいたが、結局の所自身への不信からそれは
手前の力が極端に欠けているからだとの結論に無理矢理向けていた。


助けたいな、支援したいなと思っても、もう人間の力ではどう
しようもない事がある。人間の力なんてそのどうしようもなさの
中では大した差はないらしい。そんな中で煩悶しながら日々に
追われる。そうしながら時は流れる。気がつけば、唐突に死んで
しまった人々とは違う形ながら、自分の寿命もやがて尽きる。
違う形とは、まだ僕の人生は継続しているという一点であり、
しかしそれはあまりにも大きな差異である。生きているのだ。
生きている人は唐突に死ななくてはならなかった人々の分も
何かを成し遂げるべく足掻かなくてはならない。


どうせ自分なんかとずっと思っていたふしがある。でもそろそろ
そんな考えは捨てたらどうだ。自信がなくても苦しくても人生は
尽きる時まで続くのである。その中で成し遂げられる何かがある
かもしれない。人を支える人が必ずしも屈強でなくてはならない
理由は、それこそない。弱さが強さにつながる事だって沢山あるのだ。
しんどいけど、生きている。死んでしまったらもうしんどさすら
感じられないのだ。涙も流せない。笑う事も出来ない。人も愛せない。


寝ます。明日もいい日にしてみせますよ。ではまたね。