花を手向けて

本日はお休みである。
平日にポンと休みが
来ると、妙に気が
抜ける。でもいつも
通りの時間に目が
醒めた。


特に何がある訳でもなくぼんやりと過ごしていたが昼から久々に
折りたたみ自転車を出して出掛けたのである。折りたたみ自転車は
丁度1年前の今頃、就職活動でハロワに通う為大活躍してくれていた。
気分転換も兼ねて1時間掛けて自転車で通っていたのだったっけか。
時の流れは速い。あの日々がもう遥か遠く感じてしまう。無職に
なった苦労も忘れ、今は忙しいだの何だのでまた苦労めいた事を
この日記に書き連ねていやがる。ああやだやだ。


折りたたみ自転車を出して向かったのは大きな川の河口だった。
昨年の今頃に訃報を受け取った方の為に、その方が亡くなったと
思われる所に花を手向けに行ったのであった。居宅ケアマネとして
担当していた方だったが、僕が退職した後、自殺した。86歳の
老人だった。認知症を患っており、それを自覚しておられた。
次第に様々な事が解らなくなって行く中で、その解らなさを苦に
されたのかもしれなかった。


僕がもっと動いていればと思った。事業所の顔色を何処かで伺いつつ
動いていた。そんなものに縛られたくないので退職してもっと縛りの
ない職場を探していた。そんな中での訃報だった。自死と知り、愕然と
した。86年の人生の最後に、自死を選ばせてしまった。もっと何か
出来る事があったかもしれなかったのに。それともそんなもの云いは
僕の思いあがりなのだろうか。解らない。



花と線香を手向けた。ごめんなさいと呟いた。でもいいわけがましい。
こんな風に花を買ってお数珠を持って線香を手向ければ、そして
この日記に「花を手向けた」と書いておけば支援者としてやるだけの
事はやったのだと、それで済まされるとでも思っているのか。俺は
悪くないと言い張れるのか。



恐らく、忘れないと思うし忘れてはいけないとも思う。
暫くこの場に佇み、ぼんやりとしていた。
僕の人生は川みたいなものだと思った。川の流れのように
何処かで停滞し、濁って汚くなり、しかしまた流れては
違う流れに合流して違う道を歩む。最後に海原へと至れば
いいが、でも僕は今何処にいるのだろうか。ぼんやりと
考えていた。どんどんと変化して行くのであろうが、でも
落ち着かない。変化の途上なのかもしれない。苦しいが
そうやって流れて行くしかないのだろう。


色んないいわけをしながら自らを保つのだ、そうしなければ
どうにかなりそうだ。僕は誰かの人生の支援をしている筈なのに、
結局無力であり、無駄な事をしていたのだという事に面と向かい合い
たくないのかもしれなかった。いや、こんな事を書いてどうなる
訳でもないが。それこそいいわけか。それでも支援するのが仕事
なのだ。他に何も出来ないから、続けるしかないのだ。続けて
いれば、川の流れはもしかしたら何処かに、海に至る。信じろ。
明日もいい日にしてみせますよ。ではまたね。