堂島川

本日は認知症ケア学会
関西地域大会に参加
して来た。


会場は堂島のグラン
キューブ大阪。毎年
ここなのかもしれない。
昨年は参加出来なかったので、2年ぶりだ。


今回のテーマは「認知症の医療とケア」専門医による講演が朝から
夕刻までびっしり続く。でも意外に短く感じた。講演内容が案外
興味深く、講師の先生方も慣れているのか話が上手かった
からだろう。実に興味深く聞けた。最近目の前の仕事を何とか
こなす事ばかり考えて日々が過ぎ、休日も勉強なんてまるで
していなかったので、少しは刺戟になったと思う。


認知症の人と家族を発症初期から継続的に支えるために」
認知症の理解と合理的なケア」
「真のパーソン・センタード・ケアとは?
「もの忘れカフェから考える認知症ケア」
認知症を患う方々が集まって自分に出来る事を自分たちで
考える、自主性を尊重した集いの場が滋賀県にある)
「一人ひとりの『生き方』が尊重されるケア」


まあタイトルだけだとよくありがちなものだけれども、
実際に認知症を患った方々と接するにあたりどのような点に
配慮が要るのか、そして逆に配慮し過ぎている部分があるのか
事例を聞きながらだとよく理解出来る。例えば、健常者が
街で「××さん」と声をかけられ「あれ、この人だれだったっけ」
と思った時、あなた誰ですかなんて聞けないだろう。とりあえず
やあまどうもと取り繕ったりする事も多い筈だ。認知症を患う
方の作話は、それのひどい状態になったものだと。だから
挨拶する時は「いついつどこそこでお会いした○○です」
なんて感じが良いのではないかと。それで思い出してもらえ
なくとも「そんなもん前から知ってるよ今さら何だ」とそれこそ
作話的な返しを貰ってしまっても、その方が「どこの誰なのだ」と
不安に思う気持ちは多少は緩和されるかもしれない。


自己決定・その人らしさ・共感・寄り添うケアなんて言葉が
散々聞かされる昨今だが、下手をすれば自己決定はその人
任せの放置につながりかねないし、その人らしさの基準は
誰が決めるのだ(家族の意見か?職員の主観か?本人は本当は
どんな方なのだ、それがどこまで解っているのだ?)なんて話だし、
共感なんて簡単に云うが、そもそも私があなたになれない以上
共感的理解は出来ても心底の部分では出来ない話だし(そうする
努力は欠かしてはいけないが)寄り添うケアと云う名の
専門性から外れてしまったケアもどきになりかねない危険も
あるのだ。そうだよなあと本当に思った。ケアは綺麗事
だけではない。支援者は関わる自らの感情も的確に把握しつつ
専門性と経験値とを微妙なバランスで組み合わせなくては
ならないのだ。でも、そこまで出来ている支援者なんて
僕を含めてどれだけいるのだろうか・・・ウーム。


今回の大会参加で7単位を取得。認知症ケア専門士はこのような
大会やら特別講座やらウェブ講座やらを受講して5年間で30単位を
取得しないと資格を更新出来ないそうで。どうせ天下りか何かの
お金稼ぎ団体が主催しているのだろうが、それでも今回は更新
しておこう。学びの良い機会である事には変わりない。どう
学ぶかはそれこそ自分で決めるさ。役に立つと思えば立つのである。

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さて、関係ないがお昼ごはんの話。グランキューブ周辺は何故か
およそ食事が出来る所がない。隣がリーガロイヤルホテルなので
そこで食事をしても良いが、高いのでパス(2年前も同じような事
書いてた気が・・・)。2年前は周辺をうろついた挙句何とか
見つけたカフェで安いけど不味いカレーランチを食したの
だったっけか。その記憶を頼りに再訪したら・・・カフェ潰れてた
(と思う。テントに書いてあったお店の名前消えてたし)食べログ
などでいまいちな評価な店であった事を昨日知ったが、やはり
潰れたか。アテが外れたので散々歩き廻って見つけた「つるまる饂飩」
と云ううどん屋でかま玉うどんとちくわの天ぷらを大急ぎで食した。
安くてそこそこ美味かった。でも界隈はビジネス街なのになんで
こんなに食事処が少ないんだろ。


大会は17時前に終了。堂島川沿いを爽やかな風に吹かれながら
のんびりと駅まで歩いた。昨日は仕事だったしこの日曜日も
こうして潰れたけど、悪い気はしなかった。それに今週は
何故か火曜日が休みのシフトになっている。明日1日出勤したら
またお休みである。気が抜けそうだがまあいいや。シフト制には
いまだに慣れないや。


久々に娑婆に出たような気がした。堂島川を渡る都会の風は
実に清々しかった。僕の関わる世界は、広いようで狭い。たまには
街中に出て風に吹かれなくては。まあおひとりさまで出てもあまり
愉しかねえか。今夜は早めに寝ます。明日もいい日にしてみせますよ。
ではまたね。