野宿旅の日記

最近疲れている。
何時も疲れている
ような気がするが、
最近は特に疲れている。


せっかく地域包括支援
センターの職員になれたのに、こんな事でいいのだろうか。
もうすぐ入職して半年、早くも息切れか。でも少しずつ道筋を
つけながら自分なりに学びの日々を送れているとは思えているから
今が頑張り所なのだろうね。


最近、昔の旅日記を再び読み返し始めている。林道日本一周の旅や
紀伊半島旧東海道の徒歩旅、北海道放浪の旅などなど。懐かしい。
この日記でもその頃の事は何度も何度も過去取り上げて来たが、
気がつくと現在の仕事の内容ばかり書くようになっていた。まあ
日記なのでそんなものなのだろうが。それは兎も角僕は本当に
筆まめだったなあと。大学ノートに破壊的にきたない字で
書き込まれた旅の記録は、しかし今どんな小説よりも面白い。
20代の頃の僕は今よりも読書をしていた所為か文章の表現が
つたないなりに多彩であったし、何より書かれている事は
全て僕が実際に自らこの目で見て、触れて、感じた事ばかり
なのだ。読み返したら今でも「ああそうだったよね」と
リアルに想い返せるものばかりなのに本当に驚いている。


野宿のテントの中で、徒歩旅の時はテントすら無い
星空の下で、ローソクや懐中電灯やらの明かりを頼りに
大学ノートに書き綴っていた。当時の僕はきっと無意識に
感じていたのだろう。この旅は生涯の貴重な記憶になると。
だからこそ記録しておかなくてはならないのだと。
ノートには言葉が溢れ返っている。残しておきたい、
留めておきたいと、そこには旅人の詩があった。


仕事が今現在の僕の一番大切な事である以上、もうあんな
旅の日々は二度と過ごせない。そしてそれはそれでいいと
思っている。しかしかつての旅人の詩の、遥かな旅路の
記録の羅列を想うにつけ、今の僕は本当にあの日々を経過して
来た男と同一人物なのだろうかと妙な気持ちになってしまう。
何となく自信を無くし、自分に疑問を持ってしまっている。


何かを突き詰めるかのように、のめり込むように旅をしていた。
あれは幻だったのか。否、日記を読め。成し遂げたのは僕だ。
きつい旅ばかりだったけど、全て成し遂げて来たのはこの僕だ。
誰の力も借りずに、自分で考えて自分で決めて、自分で行動
していた。そして最後に、それらは全て成し遂げた。
想い出である。でも、それらは今の僕に繋がっている。
今僕が此処にいるのは、絶対に成し遂げてやると意地を
張って、そして本当に成し遂げた自分がかつていたからだ。
自信を持て。全身全霊で旅を成し遂げたのだ。これからだって
きっと同じだ。かつてのような勢いや体力は無くても、
積み重ねて来た経験がある。そしてこれからも積み重ねて
行こうという気力も沢山ある。行けるさ、まだまだ。


旅日記の中の僕はまるでかっこよくない。でも必死だった。
かっこよさの欠片もなかったけどでも、必死に頑張っていた。
そうだ、変わらねえじゃないか。今だって必死だ。頑張れ。
寝ます。明日もいい日にしてみせますよ。ではまたね。