サビ猫とそのお子さん?

法人の中には、僕が入職
から4ヶ月ちょいの割には
よくやっていると認めて
下さっている方もいる
らしい。ありがたい
話である。


しかし僕の力など実に微々たるものであり、自信を持つにはまだ遥かに
遠い。謙虚に、慎重に、しかしあちこちへの「根廻し」も忘れずに
どうにかこなしていければいいなと思っている。


実は「根廻し」は僕がケアマネをしていた時の密かなキーワードだった。
あまり上手く行かない事も多かったがあちこちへ事前に手を打って
おく事でスムーズに事が進むだろうと踏めばどんどん脚を運んで話を
つけていた。たまには少々ずるい手口かなあと思ってしまう事も
あったけど、それが利用者さんの為になるのなら敢えてその手を
打った事もあった。


直球勝負で行く事しか知らなかった頃もあったが、人間の営みは
まっすぐばかりでは行かないのだ。型どおりでは行かないのだ。
ずるい手口(敢えてそう表現する)でも型どおりの限界を乗り越える
為ならばそういう手段を取る必要だってある。でも僕はケアマネをして
いた最後の頃、事情からずるい手口を踏めず、結果的に人をひとり
死なせてしまった事があった。これは僕にとって生涯の汚点である。
死なせてしまった方への贖罪をしなくてはならない。ケアマネの
限界を飛び越えたいと願っていたのに86歳になる方に遺書を書かせ、
自死を選ばせたのだ。その事実を知った時、僕は情けなさで放心した。
この僕の所為なのだとすら思ってしまった。僕に出来る事は、
これから毎年その方が亡くなったと思われる場所に花と線香を
手向けに行く事くらいである。でも、そんな事くらいで贖罪
なんてな。


今の職場ならば、もっと自由に動けるかもしれない。事業所の
顔色を窺わなくてもいい。ある程度公的な立場なのだからもっと
動ける。もっと根廻しも出来るかもしれない。そう信じたい。
もう人を殺したくない。


寝ます。明日もいい日にしてみせますよ。ではまたね。