僕には合わない

今週も始まりました。


6月も下旬に入り、
じわじわと蒸し暑い
日々が続いている。
相変わらず先も見え
ないし疲れる毎日。
何かを変えたいなあと思う昨今なのである。


「何かを変えたい」と云うよりは「何を今さら」な感じなのであるが
手持ちのCDデータをスマホに落として通勤電車で聴いてみる事にした。
これは実は僕にとっては画期的な出来事なのである。生まれてこのかた
僕は音楽を「持ち歩いた」事がない。本当に聴きたい音楽は家で、部屋の
中で聴くものだとの最早偏屈とも云える考えに縛られていたのである。
スマホだって購入してもう2年近くになるけどそんな事考えてもみなかった。
ipodなんて買う気もなかった。でも何となく持ち歩いてみようかと
思ったのであった。うーむ僕も変わりつつあるのだろうか。で、昨日
やってみたのである。

追憶のハイウェイ61

追憶のハイウェイ61

どんなCDデータを入れようか。初めてなのだから初めて手に入れた
CDにしようか、ならばこれ、ボブ・ディランの「追憶のハイウェイ61」だ。
CDプレーヤーがすっかり世間に広まって久しい90年代前半に漸く手に
入れたCDプレーヤー。そして大学を出て初任給で買ったのがこのCD。
17歳頃にラジオの特集で初めて聴いて衝撃を受けた曲がオープニングと
なる。「ライク・ア・ローリング・ストーン」がそれだ。紀伊半島
徒歩野宿で一周した大学卒業直前の僕のアタマの中で、30歳になり
色々とあってこの業界に入る事となった直前に行なった東海道徒歩旅
(同じく野宿だった)の僕のアタマの中でまるで主題歌のように毎日
流れていたのがこの曲だったっけ。


「ズンッドンッ」とといきなりドラムが鳴り、続いてハモンドオルガン
音が全編通じて鳴り響く。ディランの「どんな気がする? 帰る家もなく
誰にも知られず 転がる石のようにあるって事は」と云う意味の歌詞が
突き刺さって来た。帰る家があるけれど何時も不安定で転がってばかり
いる自分が情けなく、でも転がっているからこそ、ひとつ所に留まらず
水の流れのように姿を変えながら生きて行くのだ、これでいいのだと
気負っていた頃を思い出す。懐かしいけど今もあんまり変わってないか。


スマホにイヤホンを繋ぎ、帰りの電車の中で聴いてみた。さぞや
当時の事を思い出して感激するかと考えていたが、まるで何も感じない。
すぐにイヤホンを外して文庫本を鞄から取り出した。やはり僕には
合わないらしい。帰宅して久々に「ライク・ア・ローリングストーン」を
CDで聴いたら、しかし心がグググッと来た。上手く説明出来ないけれど、
やはり僕には合わないらしい。データは早くも消去する事にした。
旅をしていた当時、僕のアタマの中ではプレーヤーなんか無くとも
きちんと音楽が鳴っていた。実際に聴きたくなれば家で聴けばいい。
本当に好きな音楽は、持ち出さなくともきちんとアタマの中で鳴って
くれる。歌詞を覚えているとか、楽器の音がどうとかじゃなく、
ただただ鳴ってくれている。そして音の向こうから僕に力を与えて
くれるのだ。数は少ないけれど、僕にはそんな好きな音楽が幾つかある。


最近は音楽を聴かなくなっている。でも今でもアタマの中ではきちんと
鳴っている。持ち歩く必要はどうやら今後もなさそうだ。
あらら、週明けから何熱く書いておるのだ。いや、たまには熱く
なろうよ。つめたくて干からびてる感じだぞ、最近の僕は特に。
本日は比較的早く帰宅出来たのでついつい書いてしまいましたがな。
寝ます。明日もいい日にしてみせますよ。ではまたね。