力なきものと共に咲く

90年代半ば頃
だったか、信州を
旅していた春の終わり。
もう何処だったかも
忘れたが、高原の
集落のはずれに
巨大な桜の木が
あった。


その木の存在感は圧倒的なものであり、オフロードバイク
単純に林道ばかりを駆けていて風景なんてそんなに気を取られる
ものでもなかった当時の僕ですらも思わず見とれてしまった程で
あった。春の終わりに残された桜たちははらはらと高原の空に
舞い散っていた。その散り際は荘厳ですらあった。


旧い一眼レフカメラを持ち歩いていて、思わずレンズを向けたが、
知識も技術もセンスも無い僕には、その荘厳さを捉える事が
まるで叶わなかった。結局シャッターを切る事は叶わず仕舞い。
目に焼き付けて集落を後にした。

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その時の旅は静岡県にある老人ホームに入所していた祖母への
面会も兼ねていた。富士川のほとりにある穏やかな雰囲気の施設で
あった。介護保険法以前の時代の制度面についてはあまりよくは
知らないが、施設の方々は皆暖かく手厚いケアを施して下さって
いたようであった。祖母の担当は大阪出身の当時の僕と変わらぬ
年代と思しき青年であった。真面目そうで清々しく、適当に生きて
いた僕はそんな彼がまぶしく見えた。でも、仕事は大変そうで、
きっと苦労しているのだろうなあと手前勝手に想像していた。


桜が散り、祖母も亡くなった。あの頃の彼とはまるで違う形
ながらも、一応福祉に関わる職に就いてしまった今の僕。あの頃の
彼は今どうしているのだろうか。もうこんな業界に見切りをつけて
いるのか、それともこんな業界ながらも突き詰めてみようと先へと
進んでおられるのだろうか。


桜の散り際に、今の自分はどうしてケアマネなんて因果な仕事を
しているのかと皮肉めいて思ってみた。でも、そう思った
自分を亡くなった祖母はどう見て下さっているのだろうか。
もっと自信を持ちたい。因果な仕事ではなく、必要な仕事
なのだと。


寝ます。明日もいい日にしてみせますよ。ではまたね。