天保山渡船にて

月半ば、ちょっとだけ
仕事は落ち着いてます。
今回もパソコンの前に
座り、少しだけ定期
訪問と役所へ行った
だけで日が暮れた。


帰宅して何気なく観た
テレビのニュースで、成年後見制度の後見人が付いている
ダウン症の方が原告として裁判をおこし、その案件に於いて
成年被後見人の選挙権剥奪は違憲であるとの東京地裁の判決が
出た事を知った。僕自身も成年後見制度利用に向けての事案に
関わった事があるが、選挙権剥奪がネックとなり、担当して
くれた弁護士から「後見」より軽度である「保佐」が妥当である
だろうとの意見を頂いて、それに向けて制度開始へと動いた経緯を
思い出し、複雑な気持ちになった。


かつては「禁治産制度」として戸籍にも制度利用者であると
記載されてしまっていた。権利擁護の観点から現行制度へと
移行して10数年となる筈である。しかしそれは果たして制度利用に
あたり、有効に働いているのであろうか。様々な疑念と葛藤を
感じている。でも、その制度を使う事で支えられている暮らしも
ある。現実として。


制度は所詮不完全なものである。だからこそ制度に関わる
支援者達はそれらに関する最新の知識を得る努力を欠かしては
ならないし、不完全なものである事への意見提示を事ある毎に
行政へと、たとえ微力を自覚していてもアップデートして
行かなくてはならないのではないだろうか。


・・・と、えらそーに問題提起的な事をのたまっておきながら、
お疲れさまでございまして、何だかもう眠いのでありまして、
取り敢えずとっとと寝ちまった方がいいらしいのでありますので
結論もへたくれもないままに終わります。ああ眠い。
明日もいい日にしてみせますよ。ではまたね。