1995年・灘郵便局

先日の大掃除の際に
様々なものを捨てたが、
その一方で出て来た
ものもある。


昔撮影した写真を
入れた写真屋さんの
袋も幾つか出て来た。


今日から丁度18年前の阪神淡路大震災、その被災地の真っ只中で
ある神戸は灘郵便局にて撮影した写真である。そのうちの何枚かは
きちんと保存されており、この日記でも何度か以下の形で公開していた。




TOPの写真はそれとは違う袋の中から出て来たものだった。
この写真を撮った事すら忘れていた。確か被災地にてカメラを
向ける事に気が引けて(それでも小型の使い捨てカメラを持って
行ってしまっていた)ほんの数枚しか撮っておらず、僕がきちんと
管理していた写真だけしか撮影していないと思い込んでいたのだった。


当時僕はまだ学生だった。バイクに乗って郵便配達のアルバイトを
よくしていた事からなのかどうなのか知らないが、震災の後
被災地で働いてくれとの大阪中央郵便局からの連絡を直に貰い、
すぐに引き受けたのだった。当時、灘郵便局に集まった僕とほぼ
同年代の若者達が写っている。だんだん思い出して来たが、おそらく
これはアルバイトの最終日だったと思う。皆必死になって働いたが、
その緊張感から開放され、少し笑顔が出ている。そんな皆を写させて
貰ったのだと思う。後方の建物は倒壊しかかっている。
当時の僕達は解放される安堵の中にあったが、地元の方々や
その後も継続して支援に関わった方々の苦悩や問題は、まだまだ
まるで解決していなかった。僕達は所詮通り過ぎただけの存在だった。


震災直後には垂水区に住む親戚の家に水やら食料やらをバイクに
満載して直行していた。尼崎を過ぎた辺りからの街の崩壊具合は
今でも忘れられない。爆撃を受けた後の様な三宮の街の風景も。
でも、通り過ぎただけだった。そのまま、18年が過ぎてしまった。


時が経てば、やがて忘れ去られてゆく。東北の大震災の様に
たった2年しか経過していないのに僕達は遠くの事だとして
自身が現実に抱える悩みや問題のみに目を奪われそうになる様に。
でも、もしかすると、明日は我が身だ。安穏と暮らせているのは
ただの偶然だ。瓦礫の街は明日の僕等の街の姿かもしれない。


当時僕と一緒に懸命に働いた写真の中の彼等。その後どの様な
人生を送っているのか僕は知る由もない。でも、きっと何かを
感じながら18年後の今日を過ごしている。そう思いたい。
所詮通り過ぎただけの存在であったとしても。


明日もいい日にしてみせますよ。ではまたね。