聖天山正圓寺

神仏混合様式の
「聖天山正圓寺」


年明けから少し経って
しまったが、今年も
此処で参拝する。もう
何年も年明けに参拝
している。


下町と隣の街の境辺りにある小さな山の上に建てられている。
この場所で様々な事を想いながら、今年もどうにか頑張って
暮らしていこうと手を合わせた。願う、のではなくそう誓う。
向かい合うのは常に自分。誰の所為でもない、自分の身に
起こる事は、少なからず自分に何らかの原因があると考える。




でも、世の中にはまるで予測がつかない事が時に起こる。
祈る事も、願う事も、感じる事も、捧げる事も、時に無為となる。
誰にも説明がつかない。人は弱いもの。消えゆくもの。
それでも人は祈り、願い、感じ、捧げる。聖なるものとして。
理由や意味などは後付けだ。ただ、聖なるものとして。


明日もいい日にしてみせますよ。ではまたね。