気恥ずかしさと開放感

ドヤ街からハルカスを望む

久々に訪れたドヤ街。
呑んだくれやホームレスや
ヤクザや、その他何だか
よく解らない連中が
跳梁跋扈(?)している
相も変わらずの風景
だった。


かつては毎日訪れて
いたドヤ街も、今の
所は案外疎遠になっている。毎日来るとうんざりする時もあるが、
たまに来るとやはりある種の懐かしさと云うか感慨と云うか、
なかなかよそ様には説明しにくい類の感情が沸いて出る。今の僕は、
7年前に唐突にこの街に放り込まれた事から全てが始まっているのだから。
この街に来る度に僕は此処で起き、経験したあんな事やこんな事を
思い出しては気恥ずかしさと奇妙な開放感を味わうのである。
おかしな話ではあるが。


何も解らずに飛び込んで、何でもかんでも吸収してやろうと
思っていたんだ、あの頃は。その記録の一部は、この日記の主に
初期に記している。それを見返す事はまずないが、書いた記憶は
消えずにある。


変わらない、時代から取り残されたドヤ街の向こうに、僕が最近
何度となく撮影している建設中の「あべのハルカス」が見えている。
ドヤ街は、この最新建築のほんの近くにあるのだった。大阪って
だからよその地域から見るとイメージが悪いんだろうなあとこういう
風景を見るとつくづく思ってしまう。そんな街に馴染んで、仕事を
してきた事は、気恥ずかしくもあり、しかし強かさを学び、不思議な
開放感に包まれていたと云う面白みもあった。僕の弱さは、工夫次第で
ある種の強さに転換が可能なのだとも知った。それがいい事なのか
悪い事なのかは今は判断出来ない。いや、今はまだ判断しなくても
いいのかもしれない。


このドヤ街とは、また少しの間疎遠になりそうだ。でもどうせまた
訪れる事になるだろう。世間から疎まれているだけの、しかし様々な
形の人生にまた触れる事となる筈だ。不適切な表現を敢えてするが、
僕はそれをある意味面白がっている。そして、学ぶのだ。


寝ます。今夜はうたた寝しないでとっとと寝よう。
明日もいい日にしてみせますよ。ではまたね。