コーヒーもう一杯

仕事やらお勉強(のふり)
やらで毎日を過ごして
いると、前回旅に出た
のが僅か数週間前とは
云え早くも禁断症状が
出て来てしまう。


しかっしもう6月は
旅には出られそうもない。
うーむ、此処の所ワンパターンにも仕事その他が忙しくなりそう
なのでうんぬんかんぬんってな事ばっかり書いている、今夜もこうか。
いけませんなあ。もっと何か面白おかしい事とかもっと何かくだらない
事とか書きたいなあと思うのですが、書きたい事が溢れる事があれば
書けない事が溢れる事だってあるのです。


書きたい事は実は溢れているのだけれども、此処では書けない事だって
どうやら溢れ返っている。僕の仕事は、誰かの生きている秘密を
否応無く知ってしまう事。今回もどうやら知りすぎてしまったらしい。


何となく疲れた気が続いております。次にもしも旅に出たならば、
もっと旨いコーヒーを飲みたいなあと。人の生き死にを知るより、
旨いコーヒーの淹れ方を覚えたいと切に願う今日この頃。
何でもかんでも知ればいいってもんでもないね。知らなくて
いい事っつうもんもあるもんさ。でも、知ってしまった以上は。


生き死には眼前にある。それは別段驚くべき事ではなく、ある意味
それに麻痺しちまっている。淡々と受け止めている。過剰に干渉しない。
命と、生き様と、その人は精一杯だか無気力だのせめぎ合いの中で
人としてのかたちを求めながら去って行ったのだかの考察を絶えず
繰り返している。どうやら知る事、知りすぎる事は苦痛しか生まない
らしい。


寝ます。明日もいい日にしてみせますよ。ではまたね。