老人と桜

下町の公園にて

昨日とは一転、
美しく晴れた。
生き残った桜たちは
青空に映えていまだ
咲き誇る。


下町のとある公園では
この暖かさと青空の
下、近隣のお年寄りが
出て来ては集まって
お花見に興じていた。


別段お酒を呑むでもなく、何かを食べるでもなく、大声で
笑ったり騒いだりする事もなく、ただただ集まって、ただただ
空を見上げ、桜を見上げて佇んでいた。


かつて「来年はもうこれ(桜の事)は見られないだろうなあ」と
仰られていた、とある方の事を想い出した。その方はもういない。
短いヒトの人生の中で、年にただ一度巡ってくるこの桜の季節。
自分はもう長くないだろうとの認識を持たれた方が、今咲き誇る
桜を愛でながら来年の自身について語ると云う事は、どれ程に
重い事なのだろうかと。しかし当のご本人は何もかもを受け入れ
ようとしていたのかも、いや、既に受け入れていたのかもしれない。



僕は毎日、様々な未練の枷からの開放を画策している。しかし叶わぬ。
でも、こうして今の所生きることを赦して貰えているらしい。
寿命とは役割の終結だと信じている。しかし時に、役割を終える前に
理不尽としか思えぬ唐突なる終結を迎えてしまう方々もいる。
本日帰宅してテレビで観た交通事件みたいに。大震災に見舞われた
方々みたいに。


下町の公園で、散る桜。眺める老人。それを眺める僕。
命って、何だ? 誰が、何を決めているんだ?


寝ます。明日もいい日にしてみせますよ。ではまたね。