桜待ち

入院した利用者さんが
おられた。


僕は連絡を受けた
その足でその方に
関する情報を病院に
提供する書類を持って
行った。医療連携加算
取れるからだ。


この加算に関しては別に病院に出向かなくともFAXで送付しても
良いようだけれども、そんなに遠い場所にはないし、利用者さんへの
面会も出来るので、今回僕は出向いている(4月からの改正では病院等に
実際に出向く場合とFAXで情報提供をして出向かない場合で加算の
単位数に差が生じるようになるのであるが)。幸い利用者さんの容態は
安定していて、そう遠くない内に退院出来そうだ。かなりご高齢の方
なので体調の急変もあるから油断は出来ないが、取り敢えずは退院
されるのをお待ちしよう。桜が咲く頃までにはきっと戻られる事だろう。


_____________________


通りすがりの道すがら、桜の木。よく見ると蕾がふくらんでいた。
今年も桜の時期が近づいている。一年ってどうしてこんなに早いのだろうか。
追われるように毎日毎日を過ごし、気がつくと明日は昨日となり過去となる。
時々、無性に空しくなるが、しかし空しくなった所で時が待ってくれる
訳でもないのだ。


昨年の今頃までは、何も変わらずに毎日を過ごしている人々がいた。
その年の桜がやがて見られるだろうと何の疑問も無く思っていたかも
しれない。しかしその思いは、かの震災や津波によってそれこそ押し
流されてしまった。誰が人生の結末を決めているのだろうか。
誰がこの世界を決めているのだろうか。僕が空しさを感じている今現在、
遠い地の誰かも空しさを感じているのだろうか。それとも、それらを
乗り越えようと動いているのだろうか。前を向ける人と向けなくなって
しまった人との差とは何だろうか。いや、それは単に「差」なるもので
済まされるものなのだろうか。


疑念とも後悔とも何ともつかぬこの思いを、そしてある意味での弱さを
持ったまま、それを認めたまま、生きていける人でありたいと願った。
隠蔽してはならない。このこころの振幅こそが生きているしるしだ。
蕾が姿を変え、遠い光の中に放たれる日がやがて来るように、
ありのままで。ありのままを決して自らの奥底に隠蔽してはならない。


明日もいい日にしてみせますよ。ではまたね。