制度との闘い

まどろみ

今週も始まりました。


3月分の利用票や
提供票をどんどんと
作成。定期訪問も
しなくては。まだ
余裕があると思って
いたら2月ももう20日
今週は割りに忙しく
なりそうだ。


この利用票や提供票を作成すると云う作業にもすっかり慣れ、
毎月当たり前のようにやっているのであるが、何となくせわしない。
次の月をぐんぐんどんどん手繰り寄せてはすぐに後方へと追いやる
ような気がしている。時間を先取りし、簡単に消費し、追いやっている。
同じパターンで過ごす事の安定と、追いやってしまっている事への
不安がある。しかし逡巡する余裕も無いまま来月の予定を立てている。

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4月からの介護報酬改定(事実上の減算・改悪であり、事実上の
介護保険制度崩壊への序章・・・と書くのは良くないか。しかしまあ
役人はアタマが良い。痛手は庶民へ。ひたすら庶民へ。その為だけに
優秀なるアタマを酷使なされておられる。役人は自ら介護保険など使わず
とも余裕を持った老後が保障されていると確信しているのかどうかは
知らないが、妙に悪意を感じる)に向けて制度面における熟知を目指さ
なければならない。学び続けなければついていけなくなる。
人の生活を支える筈の制度が、今その根底を崩されようとしている。
しかしケアマネがそれに屈する訳にはいかないのだ、それこそ
人の生活が掛かっている。その生活のすべてに関わる事は到底無理だが、
その生活の根幹に否応無く関わってしまっているのだから。


漠然と書類を纏める事のみに注力してしまいがちだ。ここに怖さがある。
僕達が揃えなければならないのは本当は書類だけなんかじゃない。
崩れそうになっている、市井に生きる人間の暮らしを支える為の
下地を揃え、整える事なのだ。


限界を感じている。しかしもう引き返せない。制度がどう変わろうが、
人の暮らしは変わらないのだ。全うすべき人生があり、それを側面的で
あるとは云え支えるのが僕の仕事なのだ。逃げてたまるかってんだ。


週始めからちいと気負い過ぎておりますかな。でもこう書かざるを
得ない現実がある。寝ます。明日もいい日にしてみせますよ。ではまたね。