2年前の鉄人

今から丁度2年前の
今日、僕は神戸へ
行った。


阪神淡路大震災から
15年と云う節目の
年だったからか、
神戸の街はそれまで
以上に鎮魂の想いの
中にあった。


その日は丁度日曜日だったから、仕事が休みで思いついて
昼から出掛けたのだった。当時の事は当日記にて書いている。
15年後・神戸。


1995年は僕にとっても色々な事があった年だったが、世間で云えば
オウム事件とこの大震災が大きな出来事であろう。この年以降、
この国の中の何かが変わったような気がしてならない。2012年の
今現在もその「何か」を時代は引き摺っているような気も、またする。


昨年は云うまでも無く未曾有の東日本大震災が発生した年であり、
年の瀬になってオウムの逃亡犯が自首したなんて出来事もあった。
震災と、実にくだらない事をしでかしたオウム事件犯を並列してしまう
事は強引であり或る意味愚であるが、いずれにしても罪なき人が
理不尽に命を奪われた出来事ではあった。僕の勝手な意見であるが、
時代は理不尽がまかり通るような何か不穏なエネルギーで
満たされて行ったような、そんな気がしている。


でも、時代がどうなろうが人は居る。残された人々はこの時代を
受け止め、考え、認め、次へと繋げて行かなければならない。
残された人々には、覚悟が要る。理不尽を生み出すエネルギーは
今や多種多様となり、誰に文句を云えばいいのかすらもう解らなく
なりつつある。誰が敵で、味方なのかも。しかし、僕等残された人々は。


訪れ来るはきっと光。無理矢理にでも信じるしかない。でなければ
理不尽に翻弄された人々が浮かばれない。きっと、光がある。
光は、ある。


明日もいい日にしてみせますよ。ではまたね。