鴨川にて

一昨日の京都行きは
認知症ケア専門士の
二次試験を受験する
為のものであったが、
帰路、寄り道をした。


三条へと寄ったのだ。
そこは僕にとって実に
懐かしい場所だった。


高瀬川


僕が生まれる前の旧い昭和歌謡の中で大好きな曲に「京都慕情」と云う
曲がある。ザ・ベンチャーズが作曲しているのにアレンジのお陰なのか
和のテイストに溢れた名曲だと思う。歌の出だしのコード進行は
C→Dm→Em→F ド→レ→ミ→ファとそのままシンプルに駆け上がっていく
僕の大好きなボブ・ディランの「ライク・ア・ローリングストーン」と
同じ進行だったりもする。渚ゆう子の湿度の高い(?)歌唱も良い。

____________________


ああ、要するにですね、この曲の歌詞に登場する高瀬川がこれだそうだ。
いかん、文章でも寄り道してしまった。今回書きたかったのはこの橋と
この橋へと至らんが為に辿った長大なルートに関してである。


三条大橋


今から8年前の今日、僕はこの三条大橋に居た。そこは旅の終着点だった。
僕はその頃、旧東海道を全行程徒歩にて踏破する旅に出ていた。
カテゴリである[21世紀東海道旅人] にてその時の事を載せているが、
8年前の秋、僕は生活に大きな変化を迎え、これからどうやって生活
していこうかと思案していた。極めて大きな不安の中にいたが、そんな
不安を振り払う様にして出発した旅だった。


思案の末やむなく、と云うか適当な思いつきと云うかで現在のどうしようも
ない介護業界の端っこに脚を踏み入れる事になってしまった。その当時は
何も知らなかったのでどうしようもない業界どころか、将来上向きな
業界だと単純に考えていたのだが。まさかそれから7年以上もこの業界に
居座る事になるとは、旧東海道を歩いていたあの頃には思ってもみなかった。



橋の袂にある野次さん喜多さんの像も8年前のままだった。


三条大橋の欄干に手を触れた瞬間、東京日本橋から歩き続けた旅は終わり、
僕は今現在に続く日々へと移って行った。それからの日々はそれまでの
プライドやら欲望やらあれやらこれやらをどんどんと捨て去り、どんな
仕事だってやって来た。あまりお金にはならなかったが、それでも僕には
どれもこれもが極めて貴重な体験であった。貴重な体験は、有り難い事に
今現在も続いている。内容は少しずつ複雑になり、責任もまた少しずつ
重くなっているらしいのであるが。

_____________________


この業界に入って間もなく担当させて頂いた、とある方の訃報を、実は先日
偶然に受け取った。担当から外れて久しいし、そもそも現在の僕は他の
事業所に移籍した事もあり、情報は入る筈もなかったにも関わらず
偶然の一言で書き記すにはあまりにも不可思議なタイミングにて知る
事となった。この件に関しては出来れば明日の当日記にて記せたらと思う。


この8年、これで良かったのかな。上手く書けないのがもどかしいが、
何か僕にとってのひとつの節目が来ているような気がするんだ。
その節目を意識したからって何がどう変わる訳でもないのだろうが。


寝ます。明日もいい日にしてみせますよ。ではまたね。