焚き火


火を熾すのは、まあまあ
得意な方だと思う。


日本各地の様々な場所で
何となく火を熾してきた。
大概は山奥だったり、
海岸だったりした。


小さなもので充分。
僕ひとりを暖かくする為だけのものなのだから。


火を見ていると、何故かしら心が落ち着く。火は脅威の対象である
一方、人間の生活に飛躍的な進歩を与えてきた。火は扱いが難しいが、
小さく制御する事で大きな益を我々にもたらす。


だが焚き火は、ある意味無為である。先日僕が高原のキャンプ場にて
熾した火は、僕を暖めた以外にはチーズを焙ってみた位しか役に
立っていない。僕はただ火を見たいだけの為に熾したのだった。


無為ではあるが、火を見ていると何故かしら心が落ち着く。
様々な事を思い出しては、苦笑したり恥ずかしくなったり。
遠くの山奥の誰もいない天の川の下で熾した火を見た時には
こんちくしょうと叫んだ事もあった。随分前の話だが。


何にそんなにこんちくしょうだったのかはもう忘れた。いやいや、
そのこんちくしょうの後、火を見つめていたら何にこんちくしょう
だったのかを瞬時に忘れてしまったのかもしれない。


パチパチと爆ぜる。焚き木はカラカラに乾いていていようがシケッていようが、
市販の着火剤なんて野暮なものは僕には要らない。コツってもんがあるのさ。


火を熾すと、たまにその火に寄せ付けられてどこかの誰か、旅人がふらりと
やって来る。時にはお酒とツマミを手に。そしてそれぞれの旅の記憶と
自らそのものを語ったりもする。普段の生活では他の誰にも語らないで
あろう秘密も、時に口にしたりも。闇の中にぽっかりと、しかし
揺るがなく、しかし儚く在る炎。


僕だけを暖めてくれたらいい。そしてもしかしてその火を見て立ち寄った
人がいたら、どうかその人も一緒に。小さな炎は心を解き放つ炎。


寝ます。


明日もいい日にしてみせますよ。ではまたね。