ドヤ街の風

釜ヶ崎・労働センター

久々に訪れたドヤ街
釜ヶ崎


以前は毎日のように
脚を運んでいたりも
したが、現在の仕事
ではあまり関わりが
なくなっている。


しかし僕が働く街では
この釜ヶ崎の、ドヤ街の
「風」に吹かれて生きている人々が少なからずいる。
今は違う地域に住んでいても、かつて此処を拠点に
日雇い人夫として働いていた、なんて方々とは今でも
関わりがある。


そんな方々が歳をとり、病気や怪我が元で介護保険の世話になる。
そしてかつての僕は介護員として毎日のようにそんな方々と関わって
いた。今はケアマネとして違う立場にはなったけれども、でもやはり
それなりに関わっている。


この街で働くようになって早6年以上。ドヤ街の風は僕にとっても
馴染みのものになってしまった。以前ほど関わる事がなくなったが
たまに来ると奇妙な懐かしさに包まれてしまう。別に居たくもない
場所の筈なんだけれどもね。風は危険を孕んでいるが、奇妙な
ユルさもまた同時に孕んでいる。刺激と緩慢。両極端。そんな所が
僕の性分(何となく怪しげで妖しげな所についつい首を突っ込んで
しまう)にピタリと来たのかも。いや、最近はもう保守傾向だし、
刺激についてもお腹いっぱいですが。


TOPの写真のあいり労働センターには今日の夕刻も、シェルターと
呼ばれる一夜の臨時宿泊施設を利用する為に、棲家を持たぬおっさん達が
利用の為の整理券を貰うべく、順番待ちをしている。当事者達からすると
困った話だったり、ギリギリの話だったり、或いは最期に繋がる話
だったりするのだが。


夏の風は街に棲息するおっさん達の臭気と共に、懐かしさをも
運んで来た。たった6年だが、その濃密な内容からすると僕はちいと
長居し過ぎたらしい。


寝ます。明日もいい日にしてみせますよ。ではまたね。