川沿いの枝垂桜


気がつけば4月も半ば。


咲き誇った桜は瞬く間に
散り始めた。やがてまた
青葉の頃がやって来る。


循環としての日々は
恙無く過ぎている。


僕は僕の仕事の先行きと、その合い間にやって来る休日について
ただ考えていればいい。そして更にその合い間に、ほかのいくつかに
ついて、軽かったり深刻にだったりと、常に考えを巡らせながら
生き、循環に身を投じている。不満が無いと云えば嘘になるが、
それは環境に対してではなく、自らに対してである。

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レイド氏、コメント本当にありがとう。


ご自身と、ご自身の身の回りに起こった出来事に対して、どのように
書いたら良いのか、色々考えたけれども考えるほどに言葉を
連ねる無力さを感じてしまいました。 すみません、22時から書き
始めたのに、日付が変わってもたったこれだけしか書けません。


残った者が生き抜いて行く。書いてしまえばこれだけですが、
それが一体どれ程重い事なのか、ずっと考えていました。
それは、これからの僕にとっても大きな課題となりそうです。


僕は、取り敢えず僕の日々を生き続けるしかない。それに
向かい合うしかなさそうだ。 他に考え付かない。


残った者は、何かを背負う事になる。当事者であろうがなかろうが。
背負って、それは何処に繋がって行くのだろうか。
頑張れば見えて来る事と、曲がった道を行かなかったにも
関わらず途絶えてしまったものとの境界は誰が線を引くのだろうか。
これは答えなのだろうか。問いなのだろうか。


おやすみなさい。残った方々は、今は休むべきだ。次から次に
襲い掛かって来るものと向き合う体力と精神力を永く保持する為に。