葉桜


僕はいい歳をして
独り者である。


だから子供なんて
いない。


甥っ子がおり、赤ちゃんの
頃には可愛がったものだが
姉は若くして甥っ子を
産んだので彼はもう大学生である。すっかり大人だ。


彼は僕の子ではないが、大学生になった事を僕は大いに喜んだし、
僕が通った大学よりも、入学する為には遥かに学力が要る大学に
入れた事を自分の事のように嬉しく思っている。それだけ彼は
頑張った事を知っているからだ。遊び呆けていた僕とは違い、
奨学金を受けながら日々学業に励んでいる。


僕の子でもないのに嬉しがっているこんな僕。


もしも、自分の子がここまで成長し、未来に向かって頑張っているのだと
したら、その嬉しさは如何ばかりなものなのであろうか。計り知れない。


逆にもしも、自分の子が自分に反撥し、僕の人生のある時期のように
紆余曲折を繰り返したとしたら、どれだけ不安に襲われるのであろうか。
父や母は、あの頃どのような想いでこの僕を見つめていたのであろうか。


そんな時代を経て、一応落ち着いているらしい今の僕を見て、父や母は
どのような想いを抱いているのであろうか。そこへと導くのも親の
務めだと、或いは思ってくれているのであろうか。

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子供を得ると云うのは、きっと素晴らしい事なのだと思う。
人のゼロからの旅立ちを見つめる事が出来るのだから。親である
自分の人生が終わっても、子供はその後の時代を渡り、きっと
生き抜き、自分の遺伝子と共に意識と無意識の枷を越えた所に
ある大切な想いを、そのまた後の世界に伝え連ねてくれるのでは
ないかとの希望を抱かせてくれるのかもしれないから。


僅か5歳の子を喪った方がいる。僕が上述した、いずれの経験も
叶わぬままに。


成長も苦悩も葛藤も挫折も、そして再生も、何もかも経験せぬ
ままにその子は喪われ、唐突に天に召された。


僕には同情出来る程の経験は無い。共感したいとは思うが今回の災害は
余りに未曾有であり、究極的な実感が無い。励ます事などに至っては、
およそ無益であり、愚である。だが、どうにかして想像する事だけは出来る。


そして、ただただ見知らぬその方の為に、その方の喪われたお子様の為に、
祈りを捧げる事しか出来ない。


以上をもって、拙いながら僕なりの追悼文とさせて頂きたい。
どうか、届け。