生きてさえいれば

Mヤン氏コメントありがとう。先日のメールにて無事は
確認していたものの、やはり大変な状況である事には
変わりないようで。


Mヤン氏が大船渡にいた頃、僕は北海道にいたのかもしれません。
沖縄は1997年の11月だったね。僕が北海道にいたのは・・・7月〜8月
あたりだったか。


先日コメントを頂いたレイドさんは知床のキャンプ場で出会った方で、
知床林道を走ったり温泉に入ったりと短い間ながら楽しく時を
過ごした事を思い出しました。僕の思い出の中に登場する人々は
沢山いるけれど、思い出の向こう側で時を経て、今現在をそれぞれ
生きている、みんなそれぞれの人生の「今」を生きているのだ。
そんな当たり前のような、しかし奇跡的でもあるような不思議な
気持ちになりました。


この10数年間それぞれの人生を、それぞれに生きて来たわけであり
様々な事があったわけでもある。目の前に現われ、受け持つ事になった
雑多な事柄に追われているうちに、気がつくと随分遠い所まで来て
しまったなあと感じたりもしている。10数年後も、生きていれば
そんな事を感じながらその時々の日々を過ごしているのだろうか。


そう、生きていれば。生きてさえいれば。


この国で1万人以上の人々が一気に亡くなってしまうなんて大戦以来
ではないか。生きてさえいればまだまだ見る事の出来た世界があった筈
なのに。「戦争」と書いたが、しかし生き残った方々にとっては、正に
これからが「戦争」だ。生きている事に疲弊してしまわれぬ様、今は
ただただ祈り、自分に出来るだけの支援を細々とでも行おうと思う。
遠い地からではあるが、人事ではない。いち日本人として。


生きていれば、生きてさえいれば、と思う。生きている人は
生きながら死んでしまってはならない。生きてさえいれば、きっと。