時代の影を横目に

あいりん労働福祉センター

本日17時半。


あいりん労働福祉
センター前に並ぶ
男達。


彼らには家が無い。
夕方前からこの場所に
並び、彼らは待っている。


シェルターと呼ばれる
臨時の宿泊施設に入る為の整理券を此処で貰う為に。


生活保護受給者が増える一方、今もこうして宿無し状態の人々もいる。
日雇い人夫として働いたりしていても、このご時世。常に仕事に
ありつけ、常にドヤに泊まれる訳でもないのだろう。毎日毎日
この場所では、この光景が繰り返されている。


僕がこの街で働き始めて、毎回の様に見て来た光景だった。
当日記内に於いても、此処で撮影したものを何度となく公開して来た。
最近はあまり立ち寄らなくなってしまっていたが、そもそも僕がこの街に
来た当初、メインの仕事場はこの釜ヶ崎だった。日本の最底辺で
働いた経験は、僕にとっては極めて大きな人生経験となった。


高度成長期の日本。全国各地からかき集められた若い独身男性は、
日雇い人夫として仕事に従事した。その後も仕事は途切れる事なく、
彼らは時代を影から支えていたのだ。それなりに羽振りの良い時代も
あったみたいだ。でも、やがて時代は大きく変わる。


景気が悪くなれば仕事はたちまち無くなった。そして彼らも何時しか
歳を取り、身体に無理を強いて生きて来たツケが廻って来た。
心身に障害を持つ者もどんどんと増えた。自立支援法の居宅サービスを
利用する者、年齢から介護保険の利用者となるもの。様々に。


上手く関われた方もいた。正直、失敗した例もあった。様々に。
しかしいずれにせよ、僕は見た。時代の影を引き摺った人々を。
そんな方々に関わり続けて来たのだった。


僕が最後に担当する事になり、間も無く引き継ぎを行う新規の
利用者さんも、またそんなひとり。ゴミ溜めの様な部屋に住んでいる。
環境整備を進めたいのだけれども、なかなか捗らない。困っている。
しかし、もう時間が無い。後は、残る職員に委ねるしかない。


ノミ行為、丁半博打、クスリの密売、そこまで怪しくは無いが、
その他実にくだらない各種揉め事。 茶飯事としての各種出来事。


全くもってなんて街だ。 でも、散々学ばせて貰った街でもある。
他所の土地で仕事をさせて貰える事になれば、もう恐らく此処には
二度と来ないだろう。本日も、ひとつの別れがあった。何年も関わって
いても、終わりなんてあっけないものなのだと、つくづく痛感した。


時代の影を、横目で見ただけの僕が何をかいわんや。所詮は横目だったぜ。
興味本位ってやつだったね。でもね・・・・・


寝ます。明日もいい日にしてみせますよ。ではまたね。