多和平キャンプ場・1998年



どうやらすっかり体調を
崩してしまった様だ。
青森は下北半島の薬研
(やげん)キャンプ場に
数日沈没する。


しかしお陰で、やや体調を
持ち直した頃、管理人の
おばさんから焼肉や酒をたっぷりとご馳走になる事が出来たりしたのだった。


この薬研キャンプ場、帰路にて再訪する事になるとは、この時はまだ
考えてもみなかった。そして様々な人々に逢う事になるとは・・・


霧に覆われた大間崎を離れたフェリーは僅か2時間弱で函館へ。



下北は大間から函館へ。函館山には少し雲がかかる。いよいよ北の大地へ。



連絡船のゲートが開くのを待っていると、姫路ナンバーのアメリカンバイクの
女の子と出会い、少し話す。


「何処まで行くんですか?」


「僕は多分長万部。行ければ洞爺湖あたりかなあ。洞爺湖にも
 キャンプ場あるし」


「私、長万部のキャンプ場に行こうと思ってるんです」


「ああそうですか。じゃあ、もしも会ったらよろしくね」


今日の目的地は、あっさりと決まる。洞爺湖はやめやめ。長万部だ!


・・・うむ、今回も長くなりそうなので、初めてこの機能使ってみる。テスト。
続きは以下を。




そのまま長万部に行くには、ちと時間が早いので恵山方面へ。
御崎海浜温泉に入湯。周辺霧がありやや寒し。


4年ぶりの長万部キャンプ場は、昨年(1997年)より有料化されていた。
探してはみたが、姫路の女の子の姿は見えない。米を炊き、レトルト親子丼を
かけて食うが、その後嘔吐してしまった。まだまだ体調は回復していなかった
らしい。


何から何までついてない。おまけに翌朝、キャンプ場の入り口付近にて
彼女と出会ってしまう。僕はかなり奥の方にテントを張っていたので、実は
すれ違っていたようなのだ。


「残念です、おんなじ所にいたのに・・・」


いやいや、あのですね、僕は貴方の40倍位残念です。ええいこんちくしょう。
彼女は富良野へ、僕は室蘭方面へ。残念です、おんなじ所にいたのに。


雨が、降り出した。


北海道は夏とは云えど防寒対策は欠かせない。持ってきた
トレーナーは北海道上陸以来(ライディングジャケットの下に)
着っぱなしである。おまけにここ数日雨に降られ続けている。尚寒い。


初めて北海道を訪れるライダーはそれを知らず、中にはTシャツ1枚のみで
来た、なんて不用心な奴もいたりする。その手の連中は揃って後悔していた。
何だかんだ云っても日本は広い。つくづくそう思う。



とある林道に入る。ヒグマに出くわさない事を願いつつ。



阿寒町にある「ペンケトー」と呼ばれる湖。何だか北海道の
形に見えませんか?


道東へと向かう。弟子屈町の多和平キャンプ場へ。昨年の日本一周の
旅の中、知床は羅臼キャンプ場で出会ったSさんとの再会を果たすべく
やって来た。


今回、旅に出る前に連絡を貰っていたのでスンナリと行く(現在ならば
さしづめ携帯電話で連絡を取り合うのであろうが、当時はまだ携帯はそんなに
普及しておらず、確かハガキか何かで何時頃北海道に渡り、何時頃どこそこに
向かうので・・・なんて感じで連絡を貰っていたのではなかったかと思う。
実にアナログだ、長閑だ、素晴らしい!)。


SさんのCBR1000が爆音と共に現れる。再会を無事果たす。何人かの
ソロツーリストがたまたま集い、自然と宴会モードに。夏の北海道での
楽しみは何と云っても偶然がもたらす人との出会いである。


どちらかといえば人付き合いが苦手なこんな僕でも、こういう
シチュエーションでの出会いは大歓迎だ。素直な気持ちになれる。
普段もそうありたいと切に願うのだが、あんまり上手く行かない。
僕は何処かで心を閉ざしてしまっているきらいがあるらしい。


実は今回、バイクにはミニギターを積んで来た。昨年沖縄で出会った
M君の影響だ。彼もバイクに小さなギターを積んで旅をしていたのだった。
そして今回は、そのM君とも再会を約束している。お互いヒマだな。


このミニギターは今後も活躍する事となる。楽器って、音楽の力って
スゴイのだ、と云う事を改めて知る事となるのだ。人とお酒と音楽と・・・
愉しい一夜のお供として。


道東方面へ。今回は反時計廻りに北海道を巡るつもりだ。


更にこのミニギターについての話を少々。羅臼の国設キャンプ場では
僕と全く同じギターを持っている岡山から来たT君と出会う。結構な
やり手で、特にブルースっぽい弾き方では僕は全くかなわなかった。
3コードのセッションもどきは最高に愉しかった。北海道では、楽器を
携えて旅をしている変人(俺もか)が案外いるようだ。


オホーツク沿いの小さな町、興部(おこっぺ)の無料の宿泊施設
(いや、ホントにそういう施設があった。北海道は旅人に優しい。今でも
あるのであろうか?)で出会った京大生のK君は(1998年当時)22歳。
それなのに何故か吉田拓郎の大ファンで「人生を語らず」の歌詞を憶えており、
ギターも少し弾けるとの事。僕がギターを貸すと、1年程前に始めたと云う
腕前で(1年の割りには上手かった)、その「人生を語らず」を歌ってくれた。
僕も「人生を語らず」は大好きな曲。K君、若いのによく知ってるなあ・・・


あ、僕も当時はまだ26歳だったか。何で知ってたんだろな。実は大層遅れて来た
フォーク青年だったのですよ、僕は。はい。因みに2010年の今でも僕の音楽的
嗜好はそんなに変わっておりません。旧いフォークやロックばかり聴いてます。


まああれだ、たった1本の楽器が、面白い出会いをもたらしてくれるのだね。
M君の真似してギターを持って来て良かったよ。このミニギターは、その後も
この旅の様々な場面にて活躍してくれる事となった。


さて、僕はオホーツクのなんにも無さを適当に確認しつつ北上を続けていた。



そして最北端である宗谷岬へ。



そこを通過したら、内陸に南下して富良野へと向かおう。


M君と再会するの予定日まで、まだ数日ある。沖縄で出会った
ムサクルシイ男ふたり。その再会は北の大地北海道。いいねえ
実にアホらしいねえ。


これが素敵な女の子との再会ならもっと嬉しいんだけどねえ・・・
え、お互い様だってか?

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1998年北海道放浪旅カテゴリの第2回目です。 


本日は昨夜の仕事の疲れからほとんど外出せず、自室にてへたばって
おりました。日帰りツーリングすら何となく億劫であり、折角スタンバイ
状態にしてあるバイクは、またしてもほったらかしになってしまいました。


出掛けないのならば、せめて想い出話など記述してみようかと、はい。


む、空しい。


否、無理して出掛けて余計にしんどくなる事もなかろうさ。
寝ますか。もう日付も変わるし。


書いたはいいが、何だか疲れたなぁ・・・うたた寝しちまう所だった。
明日もいい日にしてみせますよ。ではまたね。