1998年・青森県薬研にて


1998年の9月。


青森県下北半島
薬研温泉キャンプ場
にて撮影。


この夏、僕は北海道を
かなり長い期間放浪
していた。


北海道放浪を終え、函館から下北半島に戻って来た僕が一夜の宿
(いや、一夜のキャンプ場、か)としたのが此処だった。一泊300円。
しかし、このキャンプ場には休憩室があり、その中でシュラフ(寝袋ね)を
敷いて泊まる事も出来たものだから、僕はじきにテントを畳み、休憩室にて
寝泊まりするようになった。どれ位居ついたっけな?


様々な旅人達がやって来ては通り過ぎた。本州と北海道とを結ぶ地。
往く者、還る者。その刹那に至る、旅の交差点のような地であった。


或る日此処にやって来た彼は、僕もかつて愛車としていた事のある
YAMAHAのオフロードバイク、セローに、TOP写真にあるギターを
無理矢理積みこんで旅をしていた。そのギターはインドで安く購入
したものであるとの事だった。成る程音は悪くて安っぽい。
造りもチャチだ。


しかしジャズを基礎としたその腕前は相当なもので、僕はまったく
敵わなかった。まあ、僕がヘタッピなだけだったのであるが。でも、
歌は僕の方が上手かったのだと、負けず嫌い男は一応書いておこうか。


ひょんな事で彼のギターは破損してしまい、それを僕はどうにか直して
あげたんだっけかな。喜んでくれた。


生意気な男だった。口も悪かった。でも、とってもいい奴だった。僕が
この旅を終え、暫く経ってから、彼から絵葉書が届いた。インドからの
ものだった。好きなんだねえ、インド。今度はシタールでも手に入れたの
かしら?


その後、旅先で出逢ったとある女性から、この彼の噂を聞いた。世間は
狭いなあとつくづく思って驚いた。僕の事もそれとなく話に出たらしい。
どうせ僕の悪口だったのだろう(笑)。いや、実はそうではなかった
らしいのだけれどもね。大層懐かしがってくれていたそうだ。


彼は元気でやっているのだろうか。その後、全く連絡を取っていない。
まだギタリストとして活動しているのであろうか。僕は彼の本名や
当時の住所を知っていた筈なのだけれども、それらを書いたメモ帳が
見つからない。ひたすら長く伸ばしていた髪は、まだあの頃のまま
なのであろうか。 あれからもう12年も経ってしまった。


2003年の旧東海道徒歩旅のカテゴリを先日終えたので、前々から書いて
みたかった1998年の北海道放浪記を新たにカテゴリ化して書いて
みようかなあと画策しております。でも、気分的にあんまり余裕が
無いものですからして、どうなるかは解りません。まあ、気が向いたら
また書きますね。


明日からは久々に土日休みが取れました。もうひたすらだらけます。
今週は本当に疲弊しちまいましたよまったくもう。


明日もいい日にしてみせますよ。ではまたね。