遥か東京日本橋から


2003年11月29日(土)雨


旧東海道徒歩旅。

その18日目。そして
その最終日。


6:10起床。暖かい朝だ。
此処は琵琶湖のほとり、近江大橋を近くに見る「なぎさ公園」の
野外ステージ。本旅最後の野宿地であった。昨夜からの雨は
まだ続いており、ステージ脇で雨に濡れる事無く野宿出来たのは
本当に有り難かった。



野外ステージにて


菓子パン2ヶの朝食。食後、公園のトイレにて洗顔・歯磨き・用便。
最終日だからと云って別にこれまでと変わる事は無い。何時ものように
身支度を整える。ザックにはザックカバーをかけ、傘をさして7:30出発。



「なぎさ公園」から近江大橋を望む


近江大橋のほとりから旧東海道へと戻るべく道を折れる。街の中心部から
近いようであるが、やはり街道筋は独特の静かな雰囲気に包まれているから
何とも不思議。


土曜日ではあるが、通勤とおぼしき人々で賑わっている。途中
「ときめき坂」なる緩い上り坂を横目に見る(滋賀県大津市膳所「ぜぜ」周辺)。
学生服を着た、みつあみの少女が行く。うわ、みつあみだよ! ああ、今でも
いるんだなあ、みつあみの女の子。いかんなあ、何だかときめくなあ・・・
無駄にときめくなあ。俺、ロリコン趣味は無いつもりなんだけどなあ・・・


何だか訳の判らぬ内に国道に出てしまう。何か少し早く出てきたな、等と
思っていると、何時の間にか高台に。右手には大津市の中心部が遥か下に
見える。オイオイ、旧東海道はその中心部を通っているんだろが!


何だかなあ、最後までこんな調子だったなあ。コースミスしてばっかりだった。
まあいいか。無事に旅を終えられれば。結果オーライなのさ!


雨はザアザア、トラックはゴオゴオ。でも僕は歩く。それが僕の旅、
それが僕の人生。


京阪(だったと思う)大谷駅の辺りで旧東海道はR1を一瞬離れる。レストランの
軒先にて漸く雨宿り休憩。



和風レストランの軒先にてタバコ休憩


タバコの煙を吐き出すとやけに多い。寒さの為、煙だけでは無く息がやたらと
白いのだ。しかも濡れた身体は急速に体力が奪われて行く。ポンチョを着る程の
土砂降りでは無いが、やはり長時間の歩行。ジワジワと濡れて来ているのだ。
今日の雨は今までと違い、やや強い風を伴っており、それが余計に濡れる
原因であろう。


こうして滋賀県京都府の境たる「逢坂の関」を越え、名神高速京都東ICを
近くに見る辺りで、旧東海道はR1を完全に離れる。それまでの山間部から
市街地へと此処で至る。間も無く伏見道との分岐点「山科の追分」へ。
「京」へは右を、「大坂」へは左の道をそれぞれ行く。


ルートはJR山科駅の辺りまで来れば、もうすっかり賑やかな商店街だ。
コインランドリーの中で休憩。冷える中、暖かいミルクセーキにホッと一息つく。


JR東海道本線の高架をくぐり、その先で左の細い道に入る。ここは見落とし
やすいので注意したい」とガイドブックにはあるのだが、この僕の事である。
案の定見落とす。歩道に周辺地図があり、それで確認をとって、どうにか
ルートに復帰する。道は上りにかかり、先程までの賑やかな商店街から、
狭くて静かな日ノ岡の集落へと入って行く。道沿いの亀水不動に今旅最後の
お参り。亀の像の口から落ちる水は井戸水であるそうだ。



日ノ岡の集落を抜けると広い県道に出る。小さなアップダウンを過ぎると
道は二股に。道路標識は左に向かう方向に「三条大橋」と有る。長大な
旧東海道の旅。今、遂に終着点の名が道路標識に現れる。


全長492km。残すは、僅かに2km。


地下鉄蹴上駅の入り口にて最後の休憩後、観光客で溢れ返る三条通りを
ゆっくりと、ひたすら進めば、そこには更に人でいっぱいの三条大橋が現れる。


呆けた様に歩き、そして12:25、遂に橋に辿り着き、欄干に手を触れる。
地下鉄三条駅の入り口にザックを降ろし、まるで気が抜けた様に座り込む。


感動も感慨も達成感も何も感じない。ただ、旅が終わっただけだ。
ただ、僕は座り込む。


数年がかり、分割で旧東海道を旅し、今日がゴールであるというご夫婦と
たまたま出会い、暫し話す。何時か生活に余裕が出来たら、そんな風にまた
旧東海道を旅してみたい。でもそんな日が、果たしてこんな僕にも来るので
あろうか?


僕の旅の終着点、京都三条大橋は昔も今も、多くの人々が行き交っている。
遥か東京日本橋から492km。旅の終わりの地となるこの橋は、ただ静かに
初冬の雨の中に佇んでいた。  



京都三条大橋 旅の終着点


遠い江戸の昔から一体どれ程の旅人が此処を目指し、そして此処を
発った事か。偶然にも幸運な事に平成の世、僕もそんな旅人の一人に
なれた。



橋のたもとには弥次さん喜多さん銅像がある



時代は変われど、これからもこの旧東海道を自力のみを頼りに歩く旅人達が
消える事は無いであろう そう信じたい。 
21世紀東海道旅人、此処に完結。

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はぁぁぁぁぁぁ・・・・・・・


遂にこのカテゴリも完結を見たか。今回は長かったなあ。かつての日記からの
転載と写真のUpだけなのに、終わらせるのにやたら時間が掛かっちゃった。
書きながら、実は結構愉しんでたんだよね。この旅の日々を想い返してさ。
もう、なかなかこんなカタチでの旅は出来そうもないからね。


TOPの写真は、旅の初日、東京日本橋にて撮影したもの。「里程標」と
あるね。此処から、ひたすら歩き通して来たんだよね、あの頃の僕は。
よくやれたもんだぜまったく。


この頃、様々な事に巻き込まれて、そしてそれらを乗り越えて、僕は
少しばかり大袈裟に書けば、人生をやり直そうと思っていたんだ。
この後の僕の人生は、今に直截繋がっている。お金はあんまり稼げないし、
毎日しんどい事ばかり。でも、今も僕はどうにか頑張れている。


それは、この旅を経たお陰なのかもしれない。旅は辛かった。でも、最高に
愉しかった。これからの人生、どんな事だって意地で乗り切って行って
やろうって、思えたんだ。 


今年は、僕にとって様々な意味で新しい旅のはじまりになりそうな
気がしています。どうなるかなんて、例によってさっぱり解らない
けれどもね。でも、走り続けるしかないんですよね。    


僕の目の前にあった旧東海道が何処かに必ず繋がっていたように、
僕の人生もきっと何処かに繋がっているのだと思います。


明日もいい日にしてみせますよ。ではまたね。